Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

足りない幻想というゲーム

はじめに

どうもー!
おはようございます!というかこんにちわ!
タクさんです。

YouTubeなんかでね。
昭和時代のCMを集めた動画だったり、
平成時代のCMを集めた動画だったりがあるんですけどねー。
なんかねー。
あれを見てるとなんともたまらんっ!って気持ちになったりします。

いやぁー!なっつかしいなぁ!
あの若かった時の感じはもう絶対戻ってこないんだろうなー!
なんて思うと、ちょっと切ない気持ちになったりしてねー。

ま、とはいえ
だったら、あの若い頃に戻りたいのか?と問われると、
「いやー、勘弁してください。」
ってコトなんですけどね。

「若い頃は楽しかったなー!」
ってね。
思いがちですが、よくよくちゃんと思い出してみると、
若い頃は若い頃で、足りないものだらけでしたからねー。

パートナーも欲しいし、
地位も欲しいし、
お金も欲しいし、
能力も欲しいし、
って感じでねー。

なんかよく思い出すと、
足りないものに悩んでたよなーって感じられます。

年をとると若さっていいなぁって思ったりするもんですが、
結局のところないものねだりであって、

常に僕らは今ないものを足りないものと認定し、
それをねだったりするんですよねー。

もう、このおねだりに付き合ってたらキリがありませんからねー。
ないものねだりですからね。

 

・足りないという幻想

足りないという渇きによって、僕らは足りないものを追い求め、
同時に、足りない自分という幻想を作り上げ、
そして、その自分に不安になったりするわけです。

常に、自分を何かと比較したりしてねー。

この足りなさという幻想はまさしく思考ちゃんの中だけで作られているイメージ男です。

そもそも全ては満ち足りていますからね。
というか、足りないなんて概念がありません。

足りないという概念は、
何かしらの架空の判断基準を作ることによって生じる観念ですからね。
事実でも真実でもないんです。

ま、そんな足りなさという幻想が僕らを苦しめているわけです。
なぜ足りなさが僕らを苦しめるのかと言いますと、
元々僕らは満ち足りているということを知っているからです。

そしてもう一つ。
実は足りなさは、ゲームを楽しむために必要なものでもあるんです。

つまりね。
僕らの苦しみは楽しむためにあったりもするんですよねー。
ま、ちょっとそういうことを聞くとムッとする方もおられるかもしれませんが、ちょっとお許しくださいね。

あなたの苦しみは楽しみだー!って聞こえるかもしれませんが、
そんなことを言っているわけではありませんので。

・刺激的なゲームに中毒になる

思考のストーリーって刺激的なゲームのようなものなんです。
だから僕らって、このストーリーについ夢中になってしまうんですよね。

そして、夢中になっていることすら忘れてしまっているんです。

ゲームには必ず試練が必要です。
それがないとつまらないですからね。

一切の試練も失敗もないゲームなんて誰もやらないですもんね。
僕らって、上手く行っていることに対しては、空気のようにスルーしてるじゃないですか。

身体のことだって、病気になってから健康のありがたさを感じたりしますもんね。

だから、上手く行っていることって僕らは全く興味が持てないんです。

なので、ゲームをする上では、足りないからどう克服しようか?ってなるのは、
ゲームに夢中になる大切な要素なんですよね。

だから、足りないのは悪いとかそういうことじゃないんです。
これで遊んでいるんです。

ちなみに、このゲームをもっと楽しむ悪魔的な方法というのが、
もうこのゲームを事実、真実としちゃうことなんですよね。

これでもっとハマれるんです。
中毒性もあるんですよね。

なので、あまりハマり過ぎちゃう場合には、ちょっとゲームをやめて落ち着いてみたら良いんですよね。

ゲームをやめるのはゲーム機の電源を切ってゲームから離れることですよね。
それと同じように、ちょっと思考のストーリーから離れて、今にリラックスしてみたら良いんです。

 

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