Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

所有の幻想と「てい」遊び

はじめに

はーいどうも。
寝入りばなの瞼の裏の模様を眺めるのが好きなタクさんです。
みなさんごきげんいかがでしょうか?

中国の古代神話で三皇五帝時代というものがあります。

これは、古代中国を治めたとされている、3人の皇とよばれる人たちと、5人の帝と呼ばれる人たちの時代のお話です。

この皇と帝をくっつけて、始皇帝は「皇帝」という呼称を作ったわけなんですが、
まあ、そういう神話の物語のなかに、伝説の隠者と呼ばれている「許由(きょゆう)」という人がいるんですよね。

この人は、まあ、簡単に言うと世捨て人といいますか、仙人みたいな人がいるんですよね〜。

どういう人かと言うと、ラマナ・マハリシさんと雰囲気が似ているのかもしれません。

ラマナさんは、ものというものを持たず、自分の持ち物は杖とふんどしとひとつのコップだけ。
なんて言われておりましたけどね〜。

この許由という人は、一切のものを持たず、水を飲むのも手ですくって飲んでいたのだそうです。
ある時、ある人がそれだと不便だろうということで、ひょうたんでできた水筒をプレゼントしたそうですが、そのひょうたんを木の枝に吊るしていたところ、風でひょうたんが揺れて音がなるのがうるさい!ということで、それを捨ててまた手ですくう生活に戻ったのだとか。。。

まあそんな仙人のような許由さんの清廉な人格を聞きつけた、当時の堯帝は、彼に帝位をお譲りしたいと申し出たんですが、それを聞いた許由さんは、
「なんと汚らわしいことを!」ってなことで、
汚らわしいことを聞いた耳を川で洗って、山の中に消えていったのだとさ。

というお話です。

まー、なんていうか徹底しとるな〜。
ってなお話なんですけどね。

ま、許由さんはきっと、持たないことの幸せを堪能していたのかもしれませんね。

 

所有の幻想

僕らはね〜。
いつしか所有という幻想に取り憑かれ、
持たないことに対して悩み、持つことに喜び、
そして、更に持ちたいと渇く。
ってな習性があるのかもしれませんねー。

あ、僕は別に、渇くこと、持ちたいと願うこと。
これらを汚らわしいとは全く思いません。

むしろ、許由さんにツッコむとしたなら、
帝位を譲るという言葉を汚らわしい!と思うのなら、めっちゃ帝位に欲を感じてたんやん!
って話ですもんね。

まあでも、持ちたいと願い、持たないことに悩むこと。
この習性はとっても可愛らしいことだなぁ。
って思うんですよね。

そして、そんな自分の習性の可愛さを受け入れてあげたなら、
もう持つ・持たないは、ゲームのひとつとなるわけです。

っていうか、もともとゲームのようなものなんですけどね。

「てい」にしているだけ

そもそも僕らは何かを持ったことはありません。
全ては変化を繰り返していますから、固定化されたものを持つことは不可能なんですよね。

ただ、それを持った「てい」にしているだけなんです。

なーんていうか、仮想通貨、今は暗号資産っていうんでしたっけ?
あれに似てるのかもしれませんね。

持った「てい」にしているだけ。
そして、その「てい」を沢山の人と共有しているということです。

皇帝でも社長でも課長でも部長でも、
夫でも妻でも、
僕らが演じるあらゆる役割も、
その「てい」を共有し、共有している間柄の中でそれを演じているわけですもんね。

演者なので、せいぜい楽しく気楽に演じればいいわけで、
そこに深刻さはいらんのです。

もちろん、深刻さを演出したければそれで良いわけですけどね〜。

僕らはこの演技に夢中になりすぎるがあまり、自分という演出された役柄に憑依しているんですよね〜。

そして、寝ている間や、ただなんの気なしにリラックスしている間は、
その役柄のことをすっかり忘れていたりするんです。

そして、役柄を思い出し、それを演じている間だけ、その役柄に対してなにかが足りないと錯覚し、もっと充実した役柄を手に入れたいと願っているわけなんです。

ね。
なんだか、可愛らしいですよね。

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