Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

なんとかする前には、とりあえず一休み

はじめに

はーい。
どうも、
ケーキを切るのが苦手なので、
そういう場面ではうまく誰かにおまかせしているタクさんです。

以前、ケーキを切るときにグチャッとなってしまうのは、
包丁にくっついてしまうのが原因だ。
ってことを小耳に挟んだんですよ。

でね。
包丁にくっつかずにケーキを切るにはデンタルフロスをつかうと良い!
なんて話を聞いたんです。

お!これはなるほど!と思いやってみたことがあるんですけど、
まー、全然切れませんでした。最悪です。

みなさん。
ケーキを切るのにデンタルフロスはおすすめできません。
イチゴすら切れない。

というわけで、おはようございます。
皆さんはどのような、ケーキとりわけライフをお過ごしでしょうか?

 

比較の幻想と足りないの幻想のおこり

ケーキを切り分けるときって、
なんとか大きさに差が出ないように頑張るじゃないですか。

これって分けることで、差というものが見えてくるからんですよね。

さらに当たり前の話ですが、
ケーキって切り分ければ、分けるほど、
一切れの大きさって小さくなりますよねぇ。

分ければ分けるほど、目の前の一切れは小さくなっていきます。

分ければ分けるほど、足りなくなっていくんですよね。

さて、
僕らの思考というものはすべて、何かを分ける作業になります。
そして、どこで分けるのが正解なのか?を思考は追い求めることになるんです。

どこで分けるというのは、いわゆる判断基準みたいなもので、
思考は、より正しい判断基準というものを求めているんですよね。

僕らを悩ませるもの

この判断基準が多いというのは、
つまるところ、分ける回数が多いということにもなります。

そんな思考に取り憑かれていると、
そりゃー、ケーキのとりわけ理論と同じでして、
「足りない」という感覚が増えてくるのは当たり前なんです。

さらに、分ければ分けるほど、比較にさらされるのもまた、
当然の理なんですよねー。

僕らを悩ませるものは、
この「足りない」と「比較」によって起こるものですから、
分ければ分けるほど、悩みは深くなるわけです。

なんとかする前にとりあえず一休み

ですが僕らは、この悩みを解決するために
「この悩みに対して、どうすれば良いのだろうか?」
更に新たな判断基準を求めたりしちゃうんですよね。

そして、さらに「足りない」と「比較」という幻想の海に、
溺れることになっちゃうんです。

よく言われている、
「欲を捨てよ、望みを捨てろ」
とか、
「足るをしれ」
という言葉は、
一見、我慢をしろ!と言う意味に捉えられるかもしれません。

ですが、そうじゃなく、幻想の海から出ちゃおうよ。
という意味なんです。

そして、癒やしというのは、そもそもありもしないこの「分離」を解いてあげる作業なんです。

思考っていうのは、いわゆる働きですからね。
ある種の緊張を伴います。

だからたまにでもいいので、今にただただリラックスしてみたら良いんです。
緊張を和らげると、思考(=分離)もまた解けていきますからね〜。

なんとかしようとする前に、とりあえず一休みしてみようってことですね。

 

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