Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

怒りに正義がくっついてきたなら要注意

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ついつい思考に巻き込まれるー!
なんてことがありますが、この思考に巻き込まれるっていうのはね。
思考というよりも、感情によるところが大きいんじゃないかなーって思っています。

別になんてことのない思考だと、感情って動きませんよね。

でも、感情が大きく揺さぶられるような場合は結構思考に巻き込まれやすくなるんですよねー。

それはきっと、感情が加わることでよりリアル感が増すからなのかもしれません。

そして、思考を巻き込む感情のなかでトップクラスに位置するのが、
恐れや怒りでしょうねー。

怒りもまあ元をただせば恐れからきてますからね。
恐れと怒りは兄弟みたいなもんです。

字面も似てますよね。

この恐れや怒りは、本能的にすぐになんとかしなければならないもの!
って判断しちゃいます。

ですので、なんとかしようとその方策をぐるぐると考えるうちに思考にまんまと巻き込まれるんです。

ネコちゃんなんかもグワーって威嚇してくる時というのは、
怖がってる時ですからね。

そういう時は、
「大丈夫だよー!」って猫可愛がりしてあげれば、
落ち着いてくれます。

ですので、自分という可愛い相棒もね。
恐れたり怒ったりしている時は、可愛がってあげれば良いんですけどね。

ついつい思考に巻き込まれることによって、この可愛がりを忘れちゃうこともあるんです。

 

・恐れも怒りも悪くはない

恐れや怒りは真っ当な感情ですので、別に悪いものじゃありません。
ただ、ちょっと厄介なのは、実際に恐れることが目の前にないのに、恐れちゃう。
というパターンですね。

これはまさに錯覚によって恐れている場合ですから、本来は恐れなくても良いんですよね。
「あー、怖いねー。よしよし」
ってしてあげれば、幾分恐れは消えていくものですが、目の前にないのにあると思い込み、そのことに関して、すぐになんとかしようとあれこれと考えるうちに思考のストーリーに巻き込まれている場合は、この恐れの感覚と思考のストーリーがバチっとリンクしちゃいますので、まるでリアルであるかのように錯覚し続けちゃうんです。

ないものを恐れても、対象がないんだからどうしようもありません。
逃げようもないですし。

そんなときはまず、
「自分は一体なにをしとるんじゃ?」
ってね。
確かめてあげてください。

恐れている時って恐れていることすら忘れてますのでね。
それをいったん落ち着いて確かめてみるんです。

そして、その恐れをすぐに追い出そうとはせずに、
その恐れを可愛がってあげれば良いんです。

・怒りに正義がくっついてきたなら要注意

恐れからくる怒りも同様です。
同じように、追い出そうとせずに可愛がってあげれば良いんですけどね。
ついつい怒りに我を忘れてあれこれと思考のストーリーに入り込んじゃったりするんですよねー。

また、怒りに正義という概念がくっついちゃう場合は要注意です。

この怒りは正当な怒りだ!だからこの怒りを思いっきり出して発散させてやらなければならない。
この正義をわからせてやらなければならないっ!
ってなったりするんですよねー。

この場合の正義もある種の錯覚なんですよねー。
もちろん、その正義感が悪いといってるわけじゃないですよ。

ただ、良くもないということです。悪も正義も幻想です。

なので、その正義はいったん置いておいて、まずは怒りちゃんを可愛がってあげてください。

すると、その正義の奥には、自分自身が感じている愛があったことに気づくかもしれません。
「なーんだ。僕はこれを大切だと思ってたんだ。」
「大切で愛しているよ!ということだったんだ。」
これが、恐れとくっついて変に加工されて正義のような形で出てきたんだなーってことが見えてくるかもしれません。

だったら、その愛もまた可愛がってあげれば良いんです。

ちなみに、他人の正義感を刺激して怒りを誘導するような言葉もネット上なんかには無数に転がってますからねー。
これを意図的に、使ったりするパターンもよくあるので、そういう時は気をつけて見てみるとすぐにわかります。

選挙演説なんかでも、人の正義と怒りに火をつけようと仕向けるパターンて良く見ますよねー。
気をつけてみてみると、
「お!やっとるねぇ〜」って感じで見れると思いますよ。

そして、そこに刺激される感情がむくむくと湧いてきたなら、
「愛だねぇ〜」ということで、
大丈夫だよ。ずっとここにいて良いよ!と可愛がってあげてくださいね。

 

 

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