Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

あなたの人生が驚くほどかるくなる「人生オママゴト論」とは?

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僕らはは自分自身の思いの中で、人生を生きています。
そして、決してその自分自身の中から出ることはできません。

例えば、あなたがステイタスに対して、大きなこだわりをもっていたとしたら、世界はそのようなステイタスこそが命!の世界になりますし、
ステイタスよりも生きがいの方こそが大事という信念を持っていたら、どうやって生きがいのある人生を歩もうかと考えます。

そして、その中で社会的な役割も加わってきます。

会社を経営しているのだとしたら、経営者としての生き方、身の振り方を意識しだしますし、

また、サラリーマンだとしたら、サラリーマンとしてのあり方を意識します。

また、住んでいる地域によっても意識が変わります。
例えば、日本人であるなら、私は日本人だと意識しますし、日本の中でも、東北出身だったり関西出身だったりで、また自分という意識も変わってくるでしょう。

さらには、
男性か?女性か?
父親か?母親か?

こういった思い込みは、まるで子供の時のおままごとと、なんら変わりが無いのです、

以前、とあるお笑い芸人がこんなことを言っていました。

人間なんて、宇宙人からみたら
ただのウンコを運んでる生物でしか無いんや!
東京でなんか食べてー、大阪行って出して、
また大阪行ってなんか食べて、東京で出しとる

宇宙人からみたらナンノコッチャ?ってなもんやで。

 

そう!
僕らはただ、思考で作り出された役を演じてる気になっているだけなんです。

でも、誤解しないでくださいね。
おままごとが悪いとか良いとか
そういう事を言ってるんじゃありません。
ただ、そのように現れてる現象を、まるで自分が起こしているかのように感じ、そして、作り出された役割。つまりオママゴトの役割に成り切ってしまっているんです。

本当の世界は、ただ、淡々と事が起こっているだけなのに、そのおままごとの役割に入り込みすぎているが故に、本来は無い不安や不自由感を感じてしまったりもします。

地位やお金も、オママゴト上のオモチャのようなもので、本来は無いんです。

ひとつの設定でしかありません。

それどころか、性別も、
国境も、
天国とか地獄とかも、
人種とか宗教なんかも、
そして時間さえも、
ただ設定された概念でしか無いんです。
ジョンレノンがイマジンで歌っているとおりです。

もちろん、概念としては有るように見えています。

おままごとをしているわけですから、おままごとは展開されてるわけです。
でも、それはあなた自身が行為をしているわけでは無いんです。

荒唐無稽な話に聞こえるかもしれませんね。

もし、荒唐無稽に聞こえたとしたら、あなたはこのオママゴトの物語に、ドップリはまり込みすぎてるのかもしれません。

もし、スピリチュアルや、お釈迦さんの言葉に触れた事のある方は、このニュアンスはよくお分かりかもしれません。

ただし、ここで展開しようとしている話は、スピリチュアルとは全然違います。
そして、お釈迦さんの教えともちがいます。

スピリチュアルも、
そしてお釈迦さんの教えでさえも、
おままごとの中の物語なんです。

なので僕はこの話を仮に人生オママゴト論と名付けました。

この話を、なんのフィルターもかけずにダイレクトに聞かれたとしたら、
至極当たり前に聞かれるでしょう。

でも、少しでもおままごとの役割。つまりあなたの自我がフィルターとして存在していたら、とても奇妙に聞こえると思います。

そしてこのおままごとの役割。
自我というのは、
自分という概念の事なんですが、
この概念が、人に不自由感を感じさせる原因となっているんです。

なぜなら概念は不自由だからです。
不自由は、イコール自分という概念だからなんです。

そして、その自分という概念は、概念であるが故に実体はありません。
まるであるかのように見えますが、実際はないんですね。
そして、その事が見抜かれる時、
つまり、おままごとをしていたんだ。という事が見抜かれる時、
その時、その不自由さからの解放があるんです。

とまあ、そういったテーマの文章をこのブログでは書いていこうかな?
と思います。

 

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