Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

喜びの条件はただ許可するだけなんです。

はじめに

はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

昔ねぇ。
あすなろ白書っていうドラマがやってたんですね。
いわゆる若者の青春ドラマ!って感じだったかと思います。

でね。
この「あすなろ白書」っていうタイトルなんですがねー。
正直、このタイトルの意味がさっぱりわからなかったんですよ。

あすなろの意味もわかりませんし、その白書と言われてもいまいちピンとこないと言いますかねー。

ただ、言葉としては簡単っぽいイメージじゃないですか。
そして、周りの友達とかもこのタイトルに一切の疑問を感じていない雰囲気でしたので、みんな普通に知ってる言葉なんだろうなーと思いあまり意味を追及せずに今まで過ごしてしまっておりました。

うむ。
これはいかんです。
ワシもいつの間にかええ歳した大人になってしまっております。
そんな大人の嗜みとしてあすなろの意味をしっかり理解しておかなくては!
というわけで調べてみました。

なんと、あすなろとは、ヒノキの一種である、「翌檜(あすなろ)」という木の名前なんだそうです。
このあすなろという木は高級木材であるヒノキとはちょっとだけ違うみたいなんですね。
そこで、明日こそはヒノキになろうという成長の意思をこめた言葉としても使われるんだそうです。

つまり、あすなろ白書は、私の成長報告書といったような意味だったんですねー。

いやー、知らんかった。

 

・僕らは今ここで幸せになって良いんです。

さて、僕は日本という国に住んでいるわけですけどね。
日本の憲法では、僕ら国民は思想の自由が保障されております。
さらには、幸せになる権利も保障されているわけです。

ですのでね。
思想や思考をどう扱ってもいいし、いつ幸せになってもいいということなんです。
でも中々この権利を行使している人って少ないのかもしれませんねー。

是非ともタダですのでガンガンこの権利を行使していけばいいと思うんです。

一切合切の思いに惑わされず、今ここで幸せになることがもう認められているんですよね。

ところで皆さんは、めっちゃ喜んだ!という経験はありますか?

例えばですが、

最高のパートナーと出会った時。
受験に合格した時。
就きたかった仕事に就けた時。

もしかしたらそんな時に最高の喜びを感じた!ってな人もおられるかもしれません。

ですが、その喜びもある程度の期間が過ぎ去ると徐々に消え去っていくんですよねー。

・喜びの条件はただ許可するだけ

この喜びの経験ってね。
おそらく、

パートナーと出会ったから。
合格したから。
好きな仕事に就けたから。

だから喜びが訪れた。
って思っちゃうじゃないですか。

でも実は違うんですよ。

喜びの条件、至福に至る条件があるとすればそれは、
喜んでもいいという許可だけなんですよね。

あなたが許可さえすればこの喜びをいつでも味わえるんです。

でも僕らって、許可しちゃうと今の自分のまんまで止まってしまう。
この自分で満足しなきゃいけなくなってしまう。
そんなのやだ!もっと上を目指していきたい。
もっと幸せを目指していきたい。

ってついつい思っちゃうんですよねー。

そして、この思いが邪魔して許可を与えてくれないんです。

いわゆる、より良くなりたい!っていうあすなろが邪魔をしてるのかもしれませんねー。

・喜びを条件に握らせるな!

別にあすなろの心。成長していきたいという思いが悪いってわけじゃないですよ。
そういうのは、暇つぶし的に遊べばいいんです。
幸せや至福の条件にしなくても良いんです。

そして成長を遊びつつも、今のまんまの自分で喜ぶことを許可してあげればいいんですよねー。

鬼滅の刃という漫画の中で、
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」という名言セリフがありますが、
それと一緒でね。

「喜びを条件に握らせるな!」ということなんです。

喜びには何かしらの条件が必要であるという思い込みは、
条件の奴隷に甘んじることになりますからねー。

喜びはしっかりと自分で持っておけばいいんです。
そして、喜びに一切の条件は必要ないんです。

一切の条件を手放して、今にリラックスしてみた時、
条件というベールに隠されていた喜びが蘇ってくれるんです。

 

 

takuteto.hatenablog.com