Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【非二元】「私はいない」とはどういうことなのか?

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「私はいません」これってどういうことなのでしょうか?
このことをちょこっと深掘りして書いてみたいと思います。

このことがわかるにはまず、
この世には、あなたしかいないということがわかることが必要となります。

まあ、この「わかる」ということ自体が、
わかる誰かがおるんとちゃうんけ?といったツッコミが入りそうですが、
めげずに話を進めたいと思います。

さて、「この世にはあなたしかいません」から始めます。
面白いことに、このことが理解されると、途端に「私はいない」が同時に理解されちゃうんです。

 

あなたは、あなたの外に出たことはありませんし、すべての世界はあなたの中で構築されています。
そしてあらゆる現象についてあなたはあなたの解釈で体験します。

あなたは誰か他人と話をしていると思っていますが、
この声はあなたの中で聞かれて意味が作られています。
もちろん話している他人もあなたの中で解釈され作られています。

見えるものもすべてあなたの中にあります。
光が目に触れた途端に、
その光を脳が分析しあなたの中で映像を作るのです。
その中であなたが記憶から現象を作り上げ、名付けられた名前で解釈するんです。
信号の赤色を見たら、この色は赤である。
といった形でです。
外で走っている車の音も、その振動を耳でつかんだ時点であなたの中でその振動を音という単位に置き換え、記憶の中から、これは車の音なんだなという解釈を行い、その音が聞こえているという現象を作り上げているわけです。
これらは全て自動的に起こります。

そして、見えてないものは存在しませんし、聞こえていないものもあなたの中には存在できないんです。

あらゆる現象から解釈される現実は全てあなたの中で構成されています。
これらは記憶から構成されていているが故に、馴染みのある現象だ。と解釈されます。

なので、毎日同じような日常を暮らしているように感じていたりします。

新しいことは自我にとっては危険なので、危険なことがあったらすぐに解釈をしようと試みます。
そして日常の中に組み込もうとするのです。

ですが、本当はそれも記憶のただの解釈に過ぎず、
本来は毎瞬、新しい、未知のことが起きているのです。

なので、本来は未知しかないんです。

そして、時間も場所も「見せかけの現実」も
記憶から構成されたものに過ぎないというわけです。

これらは全て自動的に、本能的に起こっているに過ぎないことなんです。

さらに僕ら人間は、その作られた現実にさらに思考で解釈を付け加えていきます。

こちらが正しいとか、これは間違っているとか、あーすべきとかこーすべき。
などといったようなことです。
また、原因と結果といったような法則も自分の中にどんどんと蓄えていき、現象を想像し、危険を未然に防ごうとしたりします。

そうすることで、益々、構築された現実という「見せかけの世界」にリアリティを持たせているのです。

これら全ては、本能的に構築されているもので、あなたが選択しているといったことではありません。

これが、この世にはあなたしかいないということなんです。

さて、そのことが理解されるとどうなるか?

実は、自分が感じていた「私」という存在は比較対象があって初めて成り立つ概念なんです。

なので、他人や対象がないと「私」は成り立ちません。

全ての他人や対象は自分の中で作られた概念である。ということに気づいてしまうと、「私」の存在意義が崩れてしまいます。

そこで、
あちゃー、、、そっかー。
「私」ってのもいなかったのかー。
参った参った!となるんです。

また、この時に「わかる」ってのもただの概念だったんだね!と気づきます。

全ては未知なんです。
わかりたがっていたのは、自我ちゃんの危険回避機能がそうしていただけであって、それは自然現象のようにただ起こっていたというわけです。

この自我ちゃんは私ではなかったわけです。

すると、私が抜け落ち、わかるが抜け落ち、未知のものが残ります。

私もわかるも全ての中の一部を限定していただけだったのです。

未知は全てであり、全ては分かつものがないものなんです。

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