Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考に巻き込まれるカラクリ

はじめに

チカラこそ、パワァァ〜!

はい。
というわけでおはようございます。
タクさんです。

よく仕事の場面なんかでは、
その仕事を他人事じゃなく自分事として取り組みなっさ〜い!

みたいなね。
そんな提言があったりするじゃないですか。

まーねー。
そりゃー経営者からすれば、そうしてくれたほうが仕事の質も上がりますので、
そうしてほしいですもんね〜。

ま、とはいえ、マジで自分ごとにして、自分流でやってると、
それはちがーう!
ってなったりして、
結局のところ、空気読め!ってことになるんですよねー。

ま〜この辺はねー。
自分がどの立場に立つか?で全く感じ方が違ってくるもんです。

経営者側と従業員側との思いのすれ違いって、
男女のすれ違いに似たものを感じさせられますね。

 

思考は全体を捉えることができない

ま、仕事の話は置いておいて、
僕らって、何かを凝視するときは、そのモノにフォーカスしますよね。
フォーカスすることによって輪郭がはっきりとしてくるわけです。

実際に、僕らの目って全体を見ようとすると見えないんです。
そうすると、全部がボケてしまいますからね。

だから、なにかにフォーカスしてしまうんですが、
フォーカスすると、当然、それ以外のものはボケてしまうんです。

これって、思考でも一緒でね。
思考は全体を捉えることができません。

なにかにフォーカスして輪郭をはっきりさせないと始まらないんです。

思考はなにかにフォーカスすればするほど、ある種のパワーを帯びるんです。

このパワーとは、なんていうか、真実味のようなものです。

これはコップだ!ってね。
ガッツリとフォーカスされたものに納得できるラベルを貼れたとき、
思考は、もうこれがコップであるということを疑うことはありませんよね。

この真実味がいわゆるパワーなんです。

このパワーが強いほど、意識と思考がペタっとくっつくんです。

嘘くさいイメージより、真実味が強い思考のほうがそりゃー同化しやすいですもんね。
この同化のしやすさがパワーなんです。

くっつき力みたいなものですかね〜。

自分事という思い込み

そして、もう一つくっつき力を倍増させるモノがありましてね。
それが、「私」から派生する「自分事」という思い込みなんです。

例えば、これはコップだ!といったところで、
別に、四六時中コップのことが頭から離れない!なんてことになはらないじゃないですか。

ま、これはコップのことはあまり自分事ではないからです。

「自分事」という思い込みは、自分に関することに対して起こる思いですからね〜。

さらに、この「自分事」は自分が損なわれる!という思いによってよりパワーを発揮するんです。

「真実味」と「自分が損なわれる」がセットになると、もうすごいパワーを発揮して、僕らはまたたく間に思考のるつぼに飲み込まれちゃうんです。

ちなみにね。
自分が損なわれるというこの自分の範囲なんですが、べつにこれは自分の身体の範囲ということではありません。

もちろん、身体も自分の範囲になったりしますが、自分が好きなモノだったり、野球チームだったり、推しのバンドだったり俳優さんだったり、
好きな信条。
信じている考え方。
宗教。
国。
家族。
車。
家。
おもちゃ。
etc.

と、自分の範囲は無限大にどんなものにでも適用されます。

なぜどんなものでも自分になりうるのか?といいますと、
それは、「私」であったり「自分」というものが存在しないからとも言えるんです。
だから、どんなものにでも適用されちゃうんですよね〜。

そして、それが損なわれようとするとき、更にそれに真実味がある場合に、
この思考のストーリーに、「チカラこそパワー!」が加わって、
その思考に巻き込まれやすくなるというわけなんです。

だからね〜。
それはホントに私なのか?
また、私ではないのなら、そこに執着しなくても良いんじゃないか?
ってね。
一度じっくりと観察してみるのをオススメしているんです。

 

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