Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考は自分だという錯覚からの目覚め

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ぜーんぶね。
思考の幻想なんですよ〜。
的な話を良くしているわけなんですが、
こういう話をしていると、

「なぜ、思考は私を苦しめるように出来てるんだろう?」

というような問いをもつことってあるんですよね。

思考さえなければ悩まないわけでしょう?
だったら、思考なんていらないじゃん!

みたいなね。

ま、「思考がなければ悩まない。ならば思考はいらない。」
というのは、
「〇〇があるから▢▢が生じる。」
といった論法によるものなんですが、
これって、まさに思考そのものだったりするんですよね。

また、
何故こうなんだろう??
って理由を求めたりするのも、
これまた、思考そのもの。思考特有の働きそのものだったりするわけでしてね〜。

僕らは、思考によって、この世のあらゆることには答えがあるはずだ!
という思い込みを持っていたりするわけです。

なぜなら、思考の働きそのものが、因果によって働いているからなんです。

因果とは思考の中だけのルールなんですけどね。
思考以外のあらゆるものにも因果が存在すると思い込んでいたりするんですよね〜。

ま、そうやって、思考の中の問題を思考によってなんとかしようとすることで、
延々と思考の渦に巻き込まれてしまう。
なんてことも起こるわけですね〜。

 

思考は別に悪くない

ま、そういうことを書くと、思考は余計に、
「やっぱり思考が悪い!」
って思いがちなんですけどね。

「良い・悪い」という判断すらも思考の中だけのルールであって、
そもそも、良いとか悪いなんてのも概念に過ぎず、もともと存在していないものなんです。

そして、思考は悪者ではないんです。
悪者ではなく、淡々とお仕事をしている思考に対して、コチラから干渉して巻き込まれているだけだったりするんです。

そして、巻き込まれるから囚われているという感じですね。

そう考えると、僕らは思考に対してちょっとしたストーカーのようになっているのかもしれませんね。

だって、思考は思考として淡々と働いているだけなんですからね〜。

それを勝手にストーカーをして、良い思考だ!悪い思考だ!と決めつけて、
それに対して巻き込まれて苦しんでるっていうね。

これって、思考からしてらちょっと迷惑な話なのかもしれません。

思考は自分??

思考についつい巻き込まれてしまうのも、思考は自分であり、同時に自分がしっかりとコントロールするものであり、自分の思い通りになるものでなければならない。
みたいなね。
ちょっと文章にすると意味がわからないような思い込みを持っているからなのかもしれません。

これって、まるでアイドルに恋人がいたり、結婚したりすると発狂する心理とにているのかもしれませんね。

だって、思考は思考として淡々と働いているだけですからね〜。
それを、嫌な思考をしたらいかーん!もっとポジティブでなければならーん!
って口出しするから、変に苦悩するわけです。

別に、思考は思考で淡々と働かせておいてあげれば良いんですよね。

アイドルだって人なんだから恋愛もすれば結婚もするだろうに、
勝手な思い込みで発狂したとしても、そのことで苦しむのは自分だけだったりするわけです。

そして、なぜそこまで思考に執着するのか?というのもやっぱり、
思考は自分であり同時に思考は自分がコントロールすべきものだという思い込みがあるからなんですよねー。

錯覚からの目覚め

でもね。
これってやっぱり変なんですよ。
だって、思考は自分であって自分がコントロールするものだとするなら、
悩みなんて出てくるはずが無いんです。

好きな人が思い通りにならない。
すなわち、他人が思い通りにならないのは当たり前のことであって、思い通りになるべきだ!という思い込みこそ的外れなんですよね。

それと同様に、思考は自分がコントロールするものだというのも的外れなんです。

この話ってね。
悟りを開いて思考から自由になるとか、何かしらの特別な存在になるという話ではなくて、的外れだと気づくこと。ここに尽きるわけなんです。
当たり前を当たり前と知る。
みたいなね。
そういうことなんですよね。

今までの当たり前。
すなわち、当たり前だと錯覚していたこと。
その錯覚。
「思考は自分である」という錯覚からの目覚めの話なんです。

 

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