Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思い通りにいかない人生、是か非か?

はじめに

ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

どこかで聞いた話なんですけどね。
恋には3つのingが必要なんだそうで、

ひとつめが、
フィーリング(feeling)です。

ま、そりゃそうですよね。
これが合わないと始まりませんもんね〜。

で、二つめが
タイミング(timing)です。
お互いにパートナーがいない状態じゃないと恋に発展しにくいですもんねー。
確かにタイミングが合わないとうまくいきません。

そして、三つめが
ハプニング(happening)なんだそうです。
何かしらの意図しない出来事が恋に発展するっちゅうわけですな!

うーん。
なるほどねー。
このハプニングこそ、僕らがきっと大事なんでしょうね。
とはいえ、この三つって僕らではコントロールできないことなんですよね。

だって、フィーリングって言ったって、自分の好みって自分で決められないですもんね。
タイミングだってそうです。うまく合わせることなんてできません。自然とそうなるってことですからねー。

ハプニングにいたっては言わずもがなですね。
意図して起こすハプニングはハプニングじゃありませんもんねー。

つまり恋というものは、僕らではコントロールできないものだと言えるのかもしれませんね。
ま、恋に限らず、僕らがコントロールしている気になっているありとあらゆることも出来てないんですけどね〜。

 

思考のクセ

よくね。
こんな言い回しがあるじゃないですか。

コップに入っている半分の水。
まだ半分もある!と思うのか?もう半分しかないと思うのか?

的なやつです。
みなさんもきっと聞いたことがありますよね。

このどう思うのか?を決めるのがいわゆる考え方のクセみたいなものなんですね。

考え方のクセってね。
無意識の思考なんです。
なぜならクセづいてしまっていますから、なかなか意識に上がってこないんですよね。

僕らは、この無意識の思考によって結構コントロールされていたりするんですよねー。

ちなみに思考っていろんなものをクセづけしようとするんですよ。
そうすることで省エネしているんです。
だって、歩き方ひとつとっても、いちいち右足出してー、左足出してー、
ってやってたら大変じゃないですか。

その辺の考え方を無意識化することで、ほぼ自動的に僕らは歩くことができるわけです。

思考は常に省エネ化しようとしますからね〜。
自分がどんな思考を持っているのかすら気づいていない場合が多いんですよね。

思い通りにいかない人生、是か非か?

僕らって、思い通りにいかない人生についつい苦悩したりしますよね。
これもね。勝手な無意識思考によって作られた苦悩なんですよ。

思い通りにいかないのはツライに決まってる!ってただ思い込んでいるだけなんです。

僕は趣味でゲームをよくします。
最近好きなジャンルはメトロイドヴァニアと呼ばれるちょっと高難度の死にゲーアクションが好きなんですけどね。

このゲームもねぇ。
思い通りにいかないから面白いわけであって、これが思い通りにいったらきっと全然面白くないんです。

人生なんてものも同じでね。
思い通りにいかないから面白いわけです。

思い通りにいかないからつらーい!っていう苦悩もね。
元々は思考のクセが作り出している幻想に過ぎないというわけですね。

思い込みはあてにならん

つまりね。
思い込みというものは全くあてにならんということです。
特に、苦悩を演出している思い込みは全く当てになりません。
なので、もう思いを頼りにしなくていいんです。

思い込みというものは、いわゆる枠のようなものです。
型枠です。
こいつがガッチリと固まってしまっていると、
同じ思い込みにハマってしまうわけです。

なのでね。
ほら、粘土で何か作って遊ぶ時に、まず粘土を柔らかくこねたりしたじゃないですか。
そんな感じで、あらゆる思い込みもクニャンクニャンにほぐしてやれば良いんです。
クニャンクニャンにするにはどうしたらいいか?というと深刻さを抜いていくのがおすすめです。
思い込みの固さ成分は深刻さでできています。

そしてこの深刻さは何でできているのか?というと強いこだわりで出来ているんですね。
このこだわりをね、クニャンクニャンにしてやればいいんです。

 

 

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