Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

なんにでも攻略法があるという錯覚

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
今やってるゲームのラスボスが中々倒せないタクさんです。

ま〜ゲームなんかで、詰まってくると
色々と攻略法を調べたりするんですけどね〜。

どうも反射神経が鈍っているようで、
全然倒せずにおります。

ま、攻略法なんてものはね〜。
人が作ったルールの中だけにしか存在しておりませんからね。

ありとあらゆるものに攻略法があるということはないんですよね。

また、人が作ったルールの中のものでも
攻略法がないものも存在します。

恋愛や結婚は、攻略法がある部分もあるけど、無い部分のほうが多いですもんね。

政治や経済問題も攻略法があるものもあれば無いものもありますし、
仕事だって攻略法があるものもあれば、無いものもありますもんね〜。

学校のテストなんかでは、ちゃんと攻略法があったりするもんですが、
仕事上の難題では攻略法が無いものも多いわけです。

先日、東大生の苦悩なんて記事を読んだのですが、
勉強ができるから仕事も出来て当たり前!って思われている東大生の苦悩が書かれておりました。

これもね〜。
勉強ができるから仕事もできるはずっていうね。
そんな錯覚からくる苦悩なのかもしれませんね。

 

悟りや非二元系の話は攻略法ではない

ここで書かれているようなお話もね。
攻略法として捉えようとすると、ちょっと明後日の方向に行ってしまうんですよね〜。

むしろ、僕らがやってることって、ゲームみたいなもんだよね!
っていう話ですからね。

なので、何かしら自分が直面している問題に対しての攻略法ではないんです。

その問題って、いわゆるゲームや映画のようなものだよね〜。
って言うことですからね〜。

だから、例えば悟りや非二元的な話を攻略法として捉えようとして
「私はいない」から、この問題っていうのも無いんだ!
って思おうとしても無理ゲーなんです。

なんにでも攻略法があるという錯覚

また、あらゆることに攻略法があるというのも錯覚なんです。
僕らってね。
自分が何かを決めているようで決めてませんからね。
攻略法っていうのも、あるように見えて無いものでもあるんです。

だって、ぜーんぶ、そうみなしているものに過ぎませんからね。

にもかかわらずなにか、全てに通用するような普遍的な攻略法があるはずだ!
って思い込んじゃうと、これまた、攻略法を探す終わらない旅がはじまってしまうことにもなりかねないわけです。

引き寄せの法則とか、自分を浄化する旅が終わらなくなったりするのも、
こういったことなんですよね。

そもそも、自身と対象との距離はゼロですのでね。
引き寄せると言うよりは、もっとダイレクトなものですし、
自分を浄化するといった類のものもね〜。
そもそも、自身の心に汚いもキレイもないんですよ。

ぜーんぶ、そのまんまでそれで良いんです。

勝ち負けも成功・失敗も幻想のようなもの

勝ち負けや成功失敗といったものも、ルールや区切りがあって初めて成り立つものなんですが、
そもそも、区切りというのも幻想のようなものであり、
ただ、そういうことにしている認識。つまりはイメージですからね〜。

そういうものも無いんです。

だから、どうしても勝ちたいなら勝ちやすいルールにすればいいだけですし、
勝ち負けのギリギリを楽しみたいのならルールの難易度を上げてやれば良いんですけどね。

そういった価値や負け、成功や失敗も幻想なんですよね。

この幻想で大いに遊べばいいわけなんですが、
あまりに、このゲームによって深刻になっているのなら、
いったんちょっと、
「あ、これってゲームみたいなものなんだ」ということを
今一度、思い出してみたら良いじゃんっていうのが、この話の提案なんです。

なにかに反省して自分を責めなくても良いんです。

許されていないという幻想を一度置いておくことで、全てはすでに許されていることを今一度知ることができるんです。

 

 

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