Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

流れに身を任せるということ

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
いまだに車窓からの景色を見るのが好きな
タクさんです。

いやー。
まじで先頭列車の運転席ごしからみる景色とか
サイコーっすよね!

ただ、僕はもう、ええ年したオッサンなので、
かぶりついてみるわけじゃなく、ただ壁に寄りかかって、
興味は特にないけど、
見るでもなしに見るっていう雰囲気を醸し出していますけどね。

なので、たまに子供が割り込んできてかぶりつきで見に来たりするときは、
おとなしく場所を譲っております。

皆さんの車窓ライフはいかがでしょうか??

さてさて、
ただただ、流れに身を任せましょう〜。
的なね。

そういったメッセージがあるじゃないですか。

ほら、
Let it be とかもそうですよね。

ただ、あるがままにあればいい。

ってことですからね〜。

今日はそんな、ただただ流れに身を任せる。
ということをテーマに書いてみたいと思います。

 

流れに身を任せるということ

流れにただ身を任せましょう。
ってね。
そんなふうに言われると、やっぱり思考ちゃんは抵抗したがり〜なところがありますのでね。
「そんなことはまかりなら〜んっ!」
ってなったりするんですよね。

「おいこら!こんな大変なことになってるのに、ただ流れに身を任すなんて何事だっ!」
ってね。

「やだやだ!身を任せたなら、今のままってことでしょ?そんなのやだやだー!」
とかね。

そして、そんな思考の声を聞いて、
「イカン!ワシは全然身を任せられていない!」
って思っちゃったりしてね〜。

そして、
「身を任せるには、どうすれば良いのか・・・・。」

って考えだしたりするんですよね。

気持ちはよーくわかります。

トゥイッター

先日もツイッター、、、じゃない、トゥイッターのほうで、
「身を任せられなーい!」というのも含めて、ただ起こってるだけなの??
みたいな質問を頂いたんですけどね。

それは起こっているというよりは、
ただの解釈に過ぎないんですよね〜。

あらゆることは、起こっていて、それでいて起こっていないんです。

これは、言い換えると、起こっていると解釈したものはただに解釈に過ぎない。
ってことなんです。

「ん?どゆこと??」
って思っちゃいますよね。

ちゃんと京都に着くよ

これはわかりやすく例えるとすると、
ほら、
例えば、新幹線に乗って東京から京都に行くとするじゃないですか。

僕がよく乗っている東海道新幹線なんですけどね。

ま、それはどうでもいいとして、そんな新幹線の車内で、
ただ、寝ていたとしても、
車窓の景色を楽しんでいたとしても、

はたまた、
「いや!この景色だけは許せん!雨が降っているじゃないか!!!!」
「この雨の景色を直ちに晴れに変えなければまかりならーんっ!!!!」

ってね。
そんなじくじたる思いにふけっていたとしてもね。

淡々と車窓の景色は変わっていきますし、
じっと座ってようが、寝てようが、
車内をうろうろとあるきまわろうが、
美味しい駅弁を食べてようが、
結局の所、京都に着くわけじゃないですか。

つまりそういうことなんです。

じくじたる思いがしんどいなら、その思いを置いておいて、
ただ、流れる車窓を楽しめばいいですよ。
というお話なんです。

どうしても車窓を楽しめない!もしかしてこれって流れに乗れてないんだろうか?
って思うかもしれませんが、

別に何をしてても、ちゃんと流れに乗ってます。ってことなんです。

大丈夫だから。ちゃんと京都に着くから。
ってことなんです。

「でも、大丈夫だと思えないから、そう思えるようになりたいっ!!!」

っていうのならね。

まずはその思いに頼るのをやめたら良いよ〜!

というお話なんですね〜。

その上で、思いに頼るのをやめるコツなんてのも書いているというわけです。

 

もっとサクサクっとお話して聞きたいっ!というかたは、
セッションの方もご検討くださいましっ!・・・・・ましましっ!

takuteto.hatenablog.com