Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

一休骸骨と生きる喜び

はじめに

はいよー。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ゲームをするにも、
スポーツをするにも、
鬼ごっこをするにもね。

そのコツはルールを知るものが断然有利なんですよね。
そしてルールには表のルールと裏のルールがあるんです。

例えば、将棋なら、
歩という駒は一つだけ前に進めるし、
と金になれば金と同じ動きになる。
みたいなね。
勝敗のルール。
コマの動き方。
これがいわゆる表のルールなんですが、

裏のルールというのは、
いわゆる定跡という、形というものがあり、
これを覚えていると覚えていないとでは全然違ってくるんですよね。

だから将棋を上達したい!となるなら、まずは定跡を覚えることが大事になってくるんです。
その次は定跡の裏をかく戦法があったりしてねー。
どんどんと複雑になっていくわけなんですが、
ま、こういうのが裏のルールみたいなものです。
上達法みたいな感じですかね〜。

これは、将棋に限らずいろんなものにもいわゆる表と裏のルールが存在するんですよねー。

そして僕らは、人生というゲームに熱狂するに従い、
このルールへの探究が加速していくんです。

仕事で成功するとか、恋愛とか、結婚とか、
地位とか、金儲けとか、幸せを得る方法とか、
悟りの方法、真理の探求ってのもそうかもしれませんね。

こういうのにも裏ルールがあればぜひ知りたい!
って僕らは思っちゃうんですよね〜。

これらは全部ゲームみたいなものなんですけどね。

僕らはついついこのゲームだけが全てだと思い込んじゃうんです。
こうなっちゃうと、ゲームに失敗してしまうことは全てを失い、自分には一切価値がない。
みたいなね。そんな錯覚に苛まされてしまう。
なんてことも起こったりするんです。

なんだろ?
ちょっとウケますよね。

これって、言い換えるとあやとりが上手な人は幸せになり、
あやとりが苦手だと、人としての価値がなく、不幸になる。

みたいなトンデモ論を本気にしている!
というのと同じですもんねー。

 

一休骸骨

このトンデモ論を本気にしてる状態から目を覚ますこと。
それが目覚めだというわけなんです。
そもそも、不幸というのは、トンデモ論を真実だと錯覚している間だけ起こるものであって、実際には存在しないんですよね。
だから、幸せになる条件があるとすれば、夢から目覚める。
トンデモ論という夢から目覚めるだけということになるんです。

あの一休さんの創作と言われている、一休骸骨(いっきゅうがいこつ)っていう物語があるんですけどね。
これは、ガイコツが人のように生きている様子を描いた物語なんですが、この物語の趣旨は、人のいろんな人生物語も、ガイコツが演じているのと同様である。
みたいなことなんだと思うんですよ。

所詮人間は、一皮むけばみな同じ骸骨
って一休さんも言ってますからね。

これもね。
夢に興じている人たちをちょっと揶揄したような物語になっているんですが、
物語を遊ぶのもいいけど、本来の真実を忘れて苦しむのはちょっと行きすぎてるんとちゃうのん?っていうね。
そんなメッセージもあるのかもしれませんね。

地球の主役は人類ではない

僕ら人間は、自身を生物の中で最も優れたものである。
まさに万物の霊長であるとしていますが、別に万物の霊長ではありません。
万物の霊長、それは僕ら人間が勝手にそう思い込んでいるだけです。

よく人間が宇宙人と出会うなんて映画もあったりしますが、それは知性という幻想を作り出す能力こそ至高であると勘違いした人間の都合で描かれたストーリーであって、多分、宇宙生物からみたら、地球の主役は人類ではなく昆虫だとするんじゃないかな?
って思うんです。

なんせ、哺乳類の種類はおよそ6000種と言われていますが、昆虫は95万種ほどいますからね。
地球上で最も繁栄しているのは昆虫といっても過言ではありません。

にも関わらず地球の代表は我々人類である!と信じて疑わない辺りもちょっと痛々しいわけなんですが、
これも思考の中のストーリーを信じて疑わないところから出てくる一つの考え方なんですよね。

いわゆるトンデモ論の一つなんです。

もしかしたら、宇宙生物からみたら、人類なんて、

「あー、幻想を真実に置き換えて夢遊するタイプの生物かー。
うちの星にもいたけど、被害妄想が爆発して同種で争った挙げ句に滅びたんだよねー。」

って白けた目で観察しているかもしれませんね。

非二元のメッセージ

ま、それはさておき、

この脳内ストーリーで遊んでいる分には全然いいんですよ。
なんか可愛らしいじゃないですか。

可愛く遊んでるよね!ということでね。
ネコがじゃれているのを微笑ましく眺めるような感じで、
思考のストーリーも可愛く眺めてやればいいんです。

でもね。
このストーリーのせいでまるで自分は不幸であると思い込み、
その思い込みのせいでストーリーがツライだけで楽しめずというのは、
ちょっと勿体無いよね。

ということで、だったらまずは、元々の本来に戻った方がいいよーというオススメがねー、
そもそもこの世に分離はないよ。
分離は思考の中だけに起こるストーリーだよ。
という非二元のメッセージなんです。

生きるとは喜びそのものです。
あれこれと考えるからその喜びが削がれるんです。

なので、喜びが何かで削がれているなら、まずその何かを一旦置いておきましょう!
というオススメなんです。

 

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