Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ゴールという幻想

はじめに

はぁーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

この世には様々な競技があるじゃないですか。
そんな競技には全部、勝ち負けやゴールというものが設定されていたりしますよね。

そして僕らも、幼稚園に入れば卒業というゴールを迎え、小学校に入っても卒業というゴールを迎え、受験をして高校なり大学などに合格するというゴールを迎え、
希望の就職先の入社試験や資格に合格するというゴールを迎えて、
希望を叶える。
みたいなね。

そんなシナリオを歩んできた方もおられると思うんですよ。

ですが、ゴールに到達しても、これまたすぐにスタートしちゃうじゃないですか。
この繰り返しにどうにも疲れちまったぜ!
なんて感じている方もおられるかもしれません。

これね。
ゴールという幻想にやられてしまっているんですよね〜。

そもそも、ゴールなんてものは、ルール上のゲームのようなものにしか存在しないものなんです。
だから、ゲームはクリアしたら一旦終わりだし、受験だってクリアしたら一旦終わりなんですけどね。

実際の毎日の日常ではそうはいかんのですよ。
だって、ゴールなんて実際は無いんですもん。

ゴールまでなんとか頑張って、ゴールに辿り着いたら何かしらの報酬を得られる。
っていう幻想はね。

できれば、とっとと捨て去ってしまったほうが良いものなのかもしれませんね〜。

 

ゴールという幻想

そもそも、ゴールなんてものは実際には存在しないんです。
区切りというものも、あるようにみえて無いんですよねー。

だからね。
ゴールに辿り着くまでは我慢して頑張る!
そして、報酬をもらう。
またゴールに辿り着くまでは我慢して頑張る!

ってな繰り返しをしていると、
中には、そこに虚しさを感じたりするパターンもあったりするんです。

結局ゴールに辿り着いたとて、なんにも変わらないんですよ。
もちろん、例えばいい大学に合格した!とかになると周りは「すごいね〜!」って言ってくれるかもしれませんよ。

会社を上場させて、名目上の資産がガッツリ増えたとして、
「名起業家だ!」って言ってもらえるかもしれません。

でも、自分の中ではなんにも変わってない事もわかってるし、すごいと言われていることはあっさりと覆るかもしれないこともわかっちゃってるんですよね。

ゴールだと思っていたものにたどり着いた途端、そこはゴールでもなんでもなかった。
なんてことに気づいちゃうんです。

なぜなら、ゴールなんてものは実際に存在しないからなんです。

飽きない才能

そうなるとね。
やっぱり、自身の人生をいかに楽しむか?
ここが大事になってくるんです。

ルールに設定されたゴールにまどわされるよりも、
誰かの称賛という報酬を目指すよりも、
自分の中で楽しいと思うことをコツコツとやるほうが満足度が高いんですよね。

誰かが設定したゴールや、自分以外からの評価を頼るよりも、
あくまで、自分で決めた評価で遊ぶということです。

仕事にしても、自分評価を高めていくほうが楽しいですもんね。

意味はいらぬ

よく、何かをするにも、
「コレって意味があるのだろうか?」
って考えることがあるかもしれません。

でもね。
意味って別に必要ないんです。

ここで言われる意味っていうのは、
評価を得られるとか?
自分が成長できるのか?
とか、効率がいいのか?
みたいなことだと思うんですけどね。

そっちを優先しちゃうと、途端に面白くなくなってしまうのでね〜。

意味のために真剣になるというよりは、
とりあえず、どう遊んだらおもろいのか?
を自分なりに開発して、それを遊ぶほうが楽しいし成長もできちゃう!
ってことになると思うんですよね〜。

というわけで、
今日はちょっとダラダラっと書いてみました。

ではまた、明日お会いしましょう〜♪

 

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