
はじめに
はいどうもー!
タクさんです。
しかしまぁ、なんと言いますか、
あるなら、あるでいいし、なきゃないでいいですよねー。
うまくいくなら、それにこしたことはないですし、
うまくいかないなら、それはそれで仕方ないですもんねー。
またやればいいですし、やらないならやらないでいいわけです。
今日の天気が晴れならば、それは気持ちいいものですし、
雨だったなら、雨で良いわけです。
雨が不快なら、不快で良いですし、傘があるならさせばいいし、ないなら無いで濡れたら良いんです。
何かが起こったのなら、それが起こっただけですし、
そこに良いも悪いも無いんですよねー。
それが起こっただけというのは、何かしらの原因があってそうなったというよりは、
ただそれが起こっただけということです。
確かに、どんなことにも原因があるって思っちゃうものなんですけどね。
それは思いの中だけの話なんですよねー。
そして、どんなことを思ったとしても、
それを思うなら思えば良いですし、思わないならそれもよし!というわけです。
もうココですべて完結しているんですよね。
誰も何もコントロールしていない
そもそも良いも悪いも無い中で、良いと悪いが思考で作られ、
同じく思考で作られた「私」が勝手に「これで良い!これじゃダメ!」ってやってるだけなんですよね。
そして、ダメとされたものに反発しているということ。
それだけなんです。
思考が反発するのもまた、それが起こるならそれで良いんです。
ただ、反発っぽい働きが起こっただけなんです。
そして、そもそも僕らは何もコントロールすらしていません。
今日の天気を決めたわけでも無いですし、
何が快適で、何が不快か?なんてことも自分で決めていません。
好きな食べ物すら決めてませんし、何を趣味にするのかも決めてません。
ただ、思考の中に作られる自分が、自分が行為をしていて、自分がコントロールしていると思ってるだけなんです。
誰も何もコントロールしていない
「でも、自分で右手をあげようと思い、手を上げることができるよ!」
って思うかもしれませんが、
それも、「僕らは何もコントロールしていない」という言葉に思いが反応して、
「いや、自分で右手を上げることができるぞ!」という思いが起こり、手が上がった。
それだけなんです。
どんな思いがやってくるかも誰もコントロールしてませんし、
その思いに対してどんな反応が起こるかも誰もコントロールしていません。
だから、反発する思いが出てきたとしても、それで良いですし、
この反発を抑えようという思いが出てきたとしても、ただそれが起こっただけなんです。
「だったらもう降参するしか無いじゃ無いか!」
「おまかせするしか無いじゃ無いか!」って思ったなら、その思いもまた、ただ起こっただけなんですよね。
そして、そんなことを聞いたとて、
「どうしてもそうは思えない!」と反発が起こったとしても、
それすらあなたが思いをどこかから引っ張り出してきたわけじゃなく、ただ反応のようにそれが起こっただけなんです。
ま、そんなわけですのでね。
ゆっくりと、お茶でものんでほっこりしましょう。