
はじめに
はいどうもー!
子供の頃は大人が政治の話をするのを、
白々しい目でみていたタクさんです。
僕にとっては、新しいおもちゃを買ってもらえるのかどうか?
このおもちゃでどのように遊んでやろうか?
みたいなことが最大の関心事でしたのでねー。
大人の政治の話が退屈だったのを覚えています。
まあでも、大人になったなら実際に税金を払いますし、
政治が生活にも直結してますからねー。
興味も湧いてくるってなもんですよね。
そして、それが興に乗ってくると、自分が支持している政治思想こそ正義で、
この思想に反対する勢力が悪に見えてきたりするんですよねー。
そして、お互いに、
「あいつらは全然わかってない!」
「バカにわからせてやらなきゃならない!」
みたいな感じになっちゃったりしてね。
妙な言い合いが行われてたりするわけです。
さらには、
あいつはあんな悪いことをしたー!
辞めさせなければならなーい!
みたいな感じでヒートアップしちゃったりね。
まあでも思想や思いなんてものは、みんな一緒になることこそ危険なわけでして、
言い合いがあること、ちゃんと論戦になってること。
これが大事ですよねー。
ここで暴力に発展しちゃったりしたら目も当てられませんからね。
要注意なのは、何かしらの正義感に支配されつつあるなーって時は、
その反対側で悪役ができちゃったりしますのでね。
そんな時はちょっと落ち着いて、悪役側の幸せを祈ってみる。
「あの人にも、幸と光が降り注ぎますように!」
ってね。
その祈りに抵抗感を感じるのだとしたら、その感覚の強さこそが分離・分断の罠にハマっている強さのバロメーターになるんじゃ無いかなー?って感じています。
分断の前のお作法
よく、複数の犬や猫に餌をあげるときなんかにね。
やっぱりみんな食べ方にも個性があるじゃ無いですか。
ある猫は、他の猫が食べているお皿ばかりを狙って横取りしようとしたり、
それに逆らって顔をくっつけて餌の取り合いをしたり。
そんなとき、「ほら、こっちにもあるからー」って言っても聞かなかったりね。
なんかそんな犬や猫ちゃんの様子って可愛いじゃないですか。
僕ら人間も同じ動物ですのでね。
そうやって餌ならぬ自分の言い分を通そうと興奮してるようなものですのでねー。
まずは、みんな可愛いなぁ。無邪気だなぁってことを確かめた上で、思うことを議論するなりしたらいいんじゃ無いかなーって思います。
また、そういった議論を見るのもエンタメですのでね。
どこかで、動物の可愛らしい餌の取り合いのイメージを持ちつつ、
どちらの子にも幸あれ!と願いつつ、そんなエンタメを見ればいいんじゃ無いかなーって感じるんですよねー。
そしてどんな思考が渦巻いていようとも、今は常に平安です。
そんな今の平安にたまには立ち帰り、綺麗さっぱり心のお掃除をすればなおよし!ですな。
最近、分断が大きくなりつつある!なんて言説もよく見たりするものですが、
そんな時は、「みんな可愛く無邪気である!」という基本に立ち帰りつつ、
お互いの幸を願った上で、議論をする。
そんなお作法が浸透すれば、もっと面白くなるんじゃ無いだろうか?
なーんて思っております。
とりあえず、心がワサワサしてきたなら、まずは不思議な踊りでも踊って落ち着いてから、
お互いの可愛さと無邪気さを感じてみればいいですよねー。