Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

欲を捨てると幸せになれる?

はじめに

はいどうもー!
タクさんです。

賢い!と評判のタコっているじゃ無いですか。
瓶の中に閉じ込めても内側から蓋を開けて出てきちゃう。
擬態もすごくてすぐにその環境の色に溶け込むことができる。
足が切れても復活する。
さらには墨を吐いて逃げ出すこともできる。

と超人的な能力を持つそんなタコなんですが、
ゲノム解析の結果、遺伝子の数が人間よりもはるかに多い!
ってこともわかってきています。

しかもね。
認知機能。すなわち僕らで言うところの脳の機能なんですが、
それが足にもあるということなんですよ。

足で触ったものを、脳で判断するということじゃなく、
直接足で認知することができるってんだからすごいですよねー。

足が切れても、その足にもしばらく認知機能が残ってるって言うんですから、
なんだか不思議な感じがします。

ぼくらって、例えば髪の毛や爪は切ってもまた生えてきます。
だから感覚としては、生えている髪の毛はなんとなーく自分の一部と言う気がしますが、
抜け毛に関してはもうゴミですよね。

抜けた毛を自分だとは認知しないですもんね。

ですが、タコの場合は、切れた足に認知能力が残るってことですから、
しばらくの間は自分が二人いるという感じになるんですかねぇ??

もしかしたら、自分という無駄な認識はそもそも持っていないのかもしれませんね。

「自分」の最大の関心ごと

さてさて、そんな「自分」と言う認識は僕らにとってはとっても気になるものとなっています。
だからこそ「自分」をもっとより良いものにしたいですし、そうしていかないと恐ろしいとも感じていたりするわけです。

自分にとって良いのか?悪いのか?というのは僕らの最大の関心ごとですからねー。

だからこそ僕らはいろんな「欲」を持ちます。
そしてその「欲」を叶えることによってどんどん自分が良くなる!
と感じていたりするんです。

ですが、その欲に振り回されるってこともありまして、そのうち自分よりも「欲」の方が上位になったりしてねー。
その欲のせいで苦しんだりもするわけです。

ですので、この欲を捨てれば幸せになれる。
なんてことも言われたりするわけです。

そもそも、僕らの苦悩の大半は、思い通りにいかないこと。
すなわち「欲」が叶えられないことです。

であれば、欲がなけりゃ苦悩もない!と言うことですからね。

欲を捨てると幸せになれる?

ただ、やっかいなのは、欲を捨てると幸せになれると聞いちゃうと、
その「欲」を捨ててよりよい自分になりたい!っていう欲が生まれてしまい、その欲に振り回され、うまく捨てられない自分にまた苦悩しちゃうっていうね。
そんなことがあったりもするわけです。

そもそも、ただの「欲」は無害なんですが、それに振り回されるのはその「欲」に執着しちゃうからってことなんですがねー。

そんな欲や執着は捨てればいいということではなく、そもそも捨てるものじゃ無いんです。

捨てようとするのではなく、ちゃーんと当たり前の真実に目を向ければ、そんなものへの執着は無意味だということが明らかになってくれるんです。

これが明らかになったとて、思考の中に欲は生まれ出るものなんですが、それへのこだわりが薄れていくんです。

だって、気象の研究者でもなければ、あまり空の雲の形へのこだわりってないですよね?
あらたな「あやとり」の技にこだわってる人も、あやとり好きじゃなければいないと思います。
あ、面白い雲だー!で終わりですもんね。
欲だってそういうものなんです。

執着がなければ、ただただ鼻歌のように現れては消えていくものなんです。

ですのでね。
頑張って欲を捨てようだなんてしなくても良いんです。
すればするほど欲に執着しちゃいますからねー。

 

 

takuteto.hatenablog.com