Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

僕らは赤ん坊から大人まで、その中心は情動である

はじめに

どもー!
タクさんです。

いやー、みなさん。
どうですか?子供の頃からどのくらい成長しましたでしょうか?

成長するに従って、できないことができるようになり、
そして、そのうちできたことができなくなるんでしょうねー。

そんな成長なんですけどね。
もちろん、みなさんも赤ん坊の頃に比べると全然違いますし、
子供の頃から青年になり大人になり、どんどんと成長して自分を上書きしてきたはずなんですけどねー。

ただ、
パソコンとかの上書き保存だと、新しいデータにまるっきり変わってしまいますが、
どうも僕らはパソコンとは違い、上書きをしても元のデータがまだ奥に残ってるんだと思うんですよね〜。

一応上書きはされてますので、表面上は変わってるし、変われば変わったで、もう元の資質のことなんかは忘れてたり、無くなったと感じていても、やっぱり奥の方にちゃんと残ってるんです。

そして、赤ん坊の頃の資質というのもやっぱり残ってると思うんです。

もちろん、赤ん坊の頃のように何か感じるたびに、オギャー!って泣くことはないかもしれませんが、僕らの心の奥の方では相変わらずグズったり、オギャー!って泣いたりしてるのかもしれません。

心の奥に残る赤ん坊

いろんな思考のストーリーが自分を苦しめるかのように感じますが、これだって本当のところは心の奥にある赤ん坊の自分がグズってるみたいなモノなのかもしれません。
思考はそのグズリに色付けしてるだけって感じですね。

赤ん坊は心の感覚を覆い隠すことなんかせずに、ただオギャー!と素直にグズってたわけですが、僕らはそれをいまだに心の奥でやってるのかもしれませんねー。

しかも、厄介なことに僕らは成長というものの仮定で、これは良い、これは悪いという善悪という概念を持ち込んでしまったので、余計に自分の奥にある赤ん坊をグズらせることになっているのかもしれません。

だから悪いという概念が、何かしらのシチュエーションによって起こった時に、グズったりするわけです。

そんな時にね。
条件反射的に、このグズリをすぐに収めなければ!って思っちゃうものなんですけどねー。

赤ちゃんの仕事は泣くこと!でもあるわけですのでね。
もうのびのびとグズらせてあげれば良いんです。

ホントの赤ん坊ならお世話しなきゃっ!ってなるんですが、心の奥の赤ん坊はあまり甘やかせすぎると、グズればなんとかしてもらえる!って勘違いしちゃいますからね。

「おーおー!今日は元気にグズっとるのぅ。」

ってな感じでね。

自由に朗らかにグズらせておいてやれば良いんです。

思考のフィルターは真実を歪める

特に心の奥のグズリが何を求めてるのか?ってのが良くわからんってこともあると思うんですよ。
そういう時って、思考ちゃんは適当に理由をつけたりするんですよね。
仕事がだるいからだ!とか、金がないからだ!とかパートナーがいないからだ!
みたいな感じで、慣れ親しんだ問題のせいにしがちなんですよねー。

でも、これってそこが問題じゃないことも多いんです。

だから、あまりこのグズリに対して思考がつける理由って当てにならなかったりするんですよね。

そういう時って、思考ちゃんはどうしようもないことを理由につけたがったりしますからね。

そもそも僕ら人間は赤ん坊の頃から大人に至るまでのその中心は情動にあって、それを思考でカモフラージュしているに過ぎないのかもしれませんね。

ただ、その思考によって情動が変に加工されちゃうことがあるんですよねー。
そのまんまの情動にはなんの解釈もないんですが、それを解釈で歪めてしまうんです。

そのせいで、自分はダメだという思いに苦しんだり、嫉妬が起きたり、誰かを恨んだりとかね。
そんな苦悩を演出してしまったりするわけです。

ですのでね。
グズリが起きてるのなら、もうそのまんま自由に朗らかにグズらせておいてあげたら良いんです。

するとね。
勝手に安心に気づいて収まってくれたり、ホントはこう在りたいんだよー。ってなことをちゃんと教えてくれるってなもんです。

 

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