Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

凡庸の中に神は宿る

はじめに

はい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさん、お仕事されてますか?
ま〜僕はといえば、気楽〜にやってるんですけどね。

仕事をしてたらねえ。
なんか、人よりも秀でなければならない。
みたいなね。

そんな幻想思考に染められそうになったりしませんか?

人よりスキルを磨いておかなければならない!
とか、
人より能力が高くないといけない!

そうしないと、この先、生き残れない!

みたいな錯覚です。

あえて錯覚って言わせていただきましたけどね〜。
そもそも、お仕事ってねぇ。
能力とかスキルと、いわゆる成功っていうの?
これって、あまり相関が無いんじゃないか?って思うんですよね。

だって、成功している人ってみんなすごいスキルや能力をもっているのか?
っていうと、そうでもないですよねぇ?

そもそも成功すらせなあかんのか?って思いますし。


こういうのって、ナンバーワン幻想なんだと思うんですよ。

 

ナンバーワン幻想とオンリーワン幻想

だって、料理にしたって、いつも最高級のものを食べたいか?というとそうでもないですし、
今一番人気のファッションだけを毎日着ていたいのか?というとそうでもないですもんね。

ナンバーワンにならなくても、十分やっていけるんですよね。
ま、目指して遊ぶのは良いんですけどね。

じゃあ、オンリーワンにならなきゃならんのか?
そんなのもまた幻想なんですよ。

オンリーワンにすらならなくてよしっ!でございます。
べーつに、平凡でもいいし、凡庸でもいいんですよ。

仕事なんてね。
楽しくやってるだけでね。
お客さんも喜んでくれたりしますからね。

以下に楽しくやろうか?というセンスがあれば良いんです。

もちろん、仕事だから、100%楽しい!ってのは無理ですよ。
面倒なこともついてきますからね。

なので、なるべく、好き!楽しいの範囲をちょっとでもいいから増やしてあげりゃ良いんじゃないかな?って思います。

凡庸の中に神は宿る

そもそもねぇ。
平凡であり、退屈であり、凡庸であって、もうそれでサイコーなんですよ。

そもそも、特別さなんて存在してませんからね。

人と猿のDNAだって9割くらい一緒とか言われてたりするじゃないですか。

同じ人同士だったら、そんなに変わらんのですよ。
赤ん坊に聞いたら、誰も自分を特別だなんて思ってないですし、
自分以外の赤ん坊のことを、特別な人だなぁ〜って思ってすら無いです。

徐々に、妙な判断材料を教えられて、それを真に受け続けてきたから、
その幻想を元に、特別という錯覚が生じているだけなんですよね。

こういう錯覚から目覚めると、
特別なんてそもそも無いし、無いものにならなくても良いってことを知るんです。
そのまんまがサイコーだという真実に触れるんです。

そうするとかる~くなるんです。

なんにも変わらないんですよ。
ただ、軽くなるだけです。

なんにも変わらないけど、深刻さだけがなくなるっていうのはそういうことなんです。

 

 

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