Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【安心の錯覚】安心はね。不安の解消じゃないんですよね。

はじめに

へーい!
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさん今日もご機嫌でいらっしゃいますでしょうか?

なんかね〜。
どんなことにも安心できれば良いよな〜!
って思いますよね。

だからこそ、こういったメッセージにも興味を持っていただいているんだと思うんですよ。

だって、安心さえできれば、人生なんてやりたい放題ですもんねぇ。

あ、別に自己中に悪いことをやりたい放題ってことじゃないですよ。
でも、安心があるなら、いろんなことにチャレンジ出来ますし、
チャレンジしないことだって謳歌出来るわけですからね〜。

つまりね。
安心こそ、自由にしていいよっていうライセンスになるってことでもあるんです。
これは、逆に言うと自由に生きていきたいけど、不安だから自由になれない。
ってことでもあるんですよね〜。

だからね。
自由にやっていきたいけど、そのまえに安心がほしいよぉ〜!
ってなっちゃう原因でもあるわけです。

ですがね。
僕らはこの安心の獲得法について、ものすごーく致命的な錯覚をしているのかもしれないんです。

そして、この致命的な錯覚のせいで、安心を得られずに、リスクの奴隷になっているのかもしれないんです。

むしろ、この安心にハマりすぎてて前に進めないっていうね。
そんな事になっているのかもしれないんです。

というわけで、今日は安心の錯覚について書いてみたいと思います。

 

保険会社は安心を売っているわけではない。

みなさん、保険って入ってますか?
別に保険の文句を言いたいわけじゃないですけどね。

保険ってね。何を売っているんだと思いますか?
保険会社から言わせると、「安心を売っています!」っていいたいんでしょうけどね。
あれってね。
まるで、宝くじは夢を売っていると言っているのと同じようにね。

でもね。
あれ、違うんですよ。
保険会社って何を売っているのか?というと不安を売っているんです。

よーく、保険の広告を見てるとわかるんですが、不安を煽っているんですよね。
保険の商品を見てもよく分かると思いますが、アレは全部不安材料の羅列なんです。
この羅列を見ても不安を売っているっていうのがよくわかりますよね。

あ、べつに、これが良いとか悪いという話をしているんじゃないんですよ。

保険の商売文句は話半分に聞き流さないとキリがないってことです。

でね。僕らも実は、安心を得たいと思いながらも実は不安の奴隷になってるのかもしれませんよ!っていう話なんです。

安心は不安の解消ではない

僕らもね。安心を得たいと思った時、あらゆる不安を解消しなければならないってね。
そう思いすぎていることで、不安の奴隷になってるのかもしれないんです。

この「安心するには不安の解消が必要!」っていう考え方に支配されると、とたんに不安の奴隷に成り下がってしまうんです。

不安の解消には、あらゆることをわからなきゃいけないっていうね。
そんな思考にたどり着いちゃうんです。

だから、あらゆることをわかっておきたいってなっちゃうんですよね。

でも、ふつーに考えて、そんなん無理じゃないですか。
無理なものを無理なくしようったって、それも無理ですよね。

つまるところ、あらゆることをわかっておきたいという無理は通らないんですよね。
なぜなら、全ては未知だからです。

通らないことを通そうとしても永遠に通らないんです。

つまり通さなくても良いことを通そうとしても終わりがないんですよね〜。

あ、一応言っておきますが、じゃあ保険をやめろ!って言ってるんじゃないんですよ。
自動車保険はちゃんと入っておいたほうが良いですし、家族に対しても最低限のリスク回避のための保険を打っておくっていうのは全然アリです。

でもわからないことを、全部わかっておこうっていうのは無理ですし必要ですら無いんです。

今を楽しむセンスと軽さの正体

そもそも僕らはフルコース料理をいただくお客さんのようなものです。
やってくる料理をいかに美味しくいただくか?このセンスだけが問われているわけです。

不味い部分を探しては不味い不味いと嘆くのか?
もしくは、ココが旨いね〜!と楽しむのか?はセンスなんです。

そして、どちらを選んでも、別にどっちでも良いってだけなんですよね。

どんな料理がが出てくるのか?は一切わかりません。
そんなわからないことに、わからないといけないと思うから、不安をいうものを味わう羽目になるわけです。

それもオツだとかんじるなら、それでオッケーなんですけどね。

わからないことは、わからなくて良いんだよ〜!っていうね。
そんなアタリマエのことを知ると、それだけで、人生がかる〜くなるんです。

それはそれは、軽くなります。だって、わからなくていい!ということが、自由への切符になってくれるわけですからね〜。

やたら、思考や観念を捨てろとか言われるのは、わからなくても良いことをわからなきゃいけないとしている材料が、思考や観念の中にあるからなんです。

僕らは、そんな材料を持って生まれたわけじゃなくてね。
いつしか、そんな材料を知らないうちに持たされたわけなんです。
だから、いらないものは捨てちゃってもいいよ!っていうのが、このメッセージの指し示すことであり、捨てていいよ!というのが許しなんです。

 

 

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