Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考のクセは考え方のクセではないよー♪

はじめに

はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

みなさん朝起きてビビったことってありますか?
ぱっと起きていきなり知らない天井だったとしたらビビりますよねー。

僕も若い頃は酔っ払って誰かの家に泊まったことを忘れていて起きてびっくりした!
なんてことはありましたけどねー。

あと、深い眠りについていたときにいきなり目覚めた時なんかもビックリしますよね?

「あれ?今日何曜日だっけ?仕事だっけ?休みだっけ?」
みたいな感じでねー。

そして、大急ぎで情報をかき集めて、
「そっか!今日は平日か!今何時だ?遅刻じゃないよな??」
って確認しだすんですよね。

まあそうやって、僕らは起きるなりすぐに思考の世界の中にダイブするわけです。

これがいわゆる思考のクセと僕が呼んでいるやつなんですが、
このクセがねー。僕らを思考世界に自然にいざない、
まるで目の前の世界が思考によって演出された世界であることに気づかずに生きている。

というわけなんです。

今日はそんな思考のクセについて書いてみたいと思います。

 

・思考のクセに気づくこと

目の前の世界が思考によって演出された世界であるということに気づくには、まず僕らが世界だと認識している世界観は思考の演出によって塗り替えられた世界なんだ!
ということを知ることから始まるんですけどねー。

そのことを知るには、その前に、あーこれってクセだったんだー!ってなことに気づくことなんじゃないかな?って思うんですよね。

ほら、僕らって普段は自然に歩いてるじゃないですか。
これって、最初は自然には歩けなかったわけです。

何度も何度も反復練習をしていって、
今では、特に意識することもなく歩いてるわけですもんね。

これもねぇ。
ある種、クセと言えるかもしれません。

自転車だって、最初は
「こんなバランスの悪いもん乗れるわけないやんけっ!」
って僕は思ってましたもんねー。
でも練習すれば乗れるようになっちゃうわけです。

思考の世界を作るなんてことは、もう恐ろしい反復を繰り返されてますからねぇ。
クセがもう身についてしまってるんですよね。

そして、そんなクセを見抜く練習として、思考から離れてみるだとか、思考をスルーしてみるだとか、あ、これって思考なんだーって気づいてみるとか、思考ちゃんを愛でてみるってことになるんです。

・思考のクセは考え方のクセではないよー

そんな思考のクセなんですけどね。
ちょっと誤解をしちゃうケースもよくありまして、それが考え方のクセと混同しちゃうというケースなんです。

思考のクセというのは、考え方のクセではないんです。

でも、思考のクセにハマってると、考え方のクセを変えようとしちゃうんです。
それだと、
全てはあるがままなんだ!と思おうとしたり、
私はいないから大丈夫なんだ!と思おうとしたり、
どうやったら「私はいない」と思えるようになるんだろうか?って考えてみたりしちゃって余計に思考のストーリーにハマっちゃうんですよねー。

思考のクセとは、そういう考え方のクセじゃなくて、ついつい思考の奴隷になってしまうというクセなんです。
思考の中には強固な「自分」というキャラが作られてるんですけどね。
このキャラを本当の自分だと錯覚することで、思考の奴隷になってしまうんです。

自分ごとなので無視できない存在になってしまうんですよね。
なので、思考があれこれと言いだすとそれは絶対にいうことを聞かなきゃいけないことになってしまうって感じです。

これをねー、思いっきりスルーしてやることによって、
「あ!スルーしても問題ないんじゃん!」
ってことを知るんです。
すると、思考に対する奴隷グセが消えていくんですねー。

 

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