Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

安心と安堵

はじめに

はいどうもー!
駄菓子屋育ちのタクさんです。

先日、今はもう珍しい駄菓子屋さんに子供がたむろっているのをみて、
なんだかとっても懐かしい気持ちになりました。
やっぱ駄菓子屋こそ子供のサロンですもんね。
公園でたくさんの子供が騒いでいるのも良いものです。

僕は子供の頃は、暇だったら公園か駄菓子屋に行けば誰か見つかるって感じでしたからねー。
最近の都内の公園なんかでは、サラリーマンやOLばっかりですもんねぇ。

最近のお子さんはどこで虫やザリガニをとってるんでしょうねぇ。

ちなみに僕はドブ板の下のドブ川でよくザリガニを捕まえておりました。

皆さんはどこでザリガニを捕まえてましたか?

 

・子供も大人も遊ぶのが仕事!

赤ん坊は泣くのが仕事!
子供は遊ぶのが仕事!
なんてねー。
言ったりしてるわけですが、僕ら大人だってやはり遊ぶのが仕事!なんだと思うんですよね。

そもそも仕事だって遊びの延長みたいなところありますもんね。
生きているうちに起こることの全ては遊びですもん。

ですので、いかにこの条件で遊ぶか?みたいなところが問われているのかもしれませんね。

この遊びに水を差すのが、生きながらわなきゃならないという思いなのかもしれません。

生きていくためにはあらゆる危険を排除し、より安定し、自分を守る強固な鎧が必要だ!っていう思いがどんどん湧いてきますからねー。

信頼にたるものを吟味する目利き力も必要だし、騙されないように気をつけなきゃいけません。

そんな生きるための算段で、せっかくの遊びがどんどん侵食されてしまい、
最終的には、「生きるために生きる」みたいなね。

よくわからんことにもなってしまいます。

・安心と安堵

生きながらわなきゃならない!なーんてことはないんですよね。
そもそも、生きてるのは私ではないですからねぇ。
どちらかというと、生きてるのオマケでついてくるのが「私」なんですから。

だから僕らは今をいかに楽しむか?を模索して遊べばいいんです。
そのために遊びのセンスを磨くんです。

遊ぶというのはゲームみたいなものです。
ゲームというのは限られた条件を作ってその条件の中で何かしらの障害を乗り越えるって遊びです。
僕らも仕事をしてるならその条件のもとで遊べば良いですし、
その条件がつまらないなら新しい条件を設定して遊べば良いんです。

そもそも条件というものは実在するものじゃないですからねー。
自分に合う条件づくりってのもまた遊びの一環です。

そうやって、いろんな模索を楽しんでいれば良いんです。

さらには、今だけ楽しめばいいんです。
別に、未来永劫楽しみ続けなきゃならない!ってことじゃありません。

今この瞬間だけ楽しめばいいんです。
その模索を面白がればいいんです。

そして、生きる算段の方はお任せしておけばいいんですよねー。

そうするともしかしたら、
「ウホッ!マジで私が生きてるんじゃない!」
ってな真実がひょこっと顔を出してくれるかもしれません。

ここに、安心と安堵があるんです。

 

 

takuteto.hatenablog.com