Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考が動き出す以前の全体

はじめに

はーいどうも。
おはようございます。
タクさんです。

カラスってね。
嫌いな人も多いのかもしれませんが、
僕は、好きなんですよね〜。

顔も可愛いし、黒っていうのもカッコいいですしね〜。

あ、ぼく、黒い服とか好きなんですよ〜。
だから、カラスの黒い感じもめっちゃカッコいい!って思うんですよね。

さて、
そんなカラスさんは、言語を持っているということでも有名です。

カァーカァーっていう鳴き声には色んな種類がありまして、
それぞれ意味が違うんですよね〜。

いやー。賢いわぁ〜。カラス。
誇り高いやつらやで!全く!

しかもね。
オモシロイことにこのカラスの言語にも、地域差があるんですよ。
つまり外国語があるということです。
日本のカラスと外国のカラスではちょっと使ってる言語が違うんですよね〜。

これも興味深いですよね。
バイリンガルのカラスもいたりするんでしょうか?

また人間のように時代によっても変わってきたりするんでしょうかね?
僕らの言語は、時代によって結構変わったりしますもんね。

ちなみにね。
地方の方言ってあるじゃないですか。
沖縄や東北のほうなんて、全然わかんなかったりしますよね。

実はあの方言ってね。古代の日本語に近いんだそうですよ。
つまりクセのある方言!なんて言ったりしてますが、実は都会のほうが人が多いせいか言語が変わってしまっていて、逆に地方の方はあまり言語が変わっていない。

クセが強いのはむしろ標準語の方なんだ!とも考えられますよね。

なので、タイムマシンで昔の日本にたどり着いたとしても、言語が違いすぎて何を言っているのかもわからず、外国のように感じるのかもしれませんね。

 

思考が動き出す以前の全体

ま、そんなわけで言語というのは僕らの考え方のルーツが知れたり、文化というものがどのように形成されていったのか?みたいなことを知るのにとても面白い研究だなぁ〜って思います。
そして、この言語こそが僕らの思考を動かしているんです。

僕らが現実だと感じている世界はまさにこの言語によって作られた世界であり、
言語の背景にある文化によって、世界の捉え方もまた微妙に違ってきたりするわけです。

そして、そうやって捉えた世界に僕らは魅了されているんです。

つまるところ、夢中になっていて足元にある言語の存在しない元々の全体が見失われている。
というわけですね〜。

この元々の全体というものは、思考が動き出す以前の「真新しい、新鮮なとれたてピチピチの生の事実」なんです。

元々の全体とは、解釈しない「コレ」である。

この元々の全体とは、解釈しない「コレ」です。
それは思考が動き出す以前の「コレ」なんです。

つまりは、名もない全てです。
そして、この名もない全てはまさに常に現れ続けているんです。

この世の真実とは、名付けられたモノではなく、
常に名もない何かが現れ続けている様なんです。

この現れ続けているというダイナミズムこそ、
イノチと表現しているものなんですね〜。

思考って、パッケージ化された止まったものとして、
あらゆるものに名前をつけるんですけどね。

そんな固定化されたものなんて存在していないんです。

あるのは刹那刹那の表現であって、僕らもまたその表現の一部なんです。

最初はね。
あー、この表現って誰もコントロールしてないし、私は常に受け身だったんだな〜。
ってなことに気づくわけなんですけどね。
常に受け身でありコントロールしてないわけですので、もうそれって「私」ですらなく、
また、この瞬間、この刹那にやってくる表現と「私」とは一切の分離がないんですよね。

だからもう全体なんです。この全体しか無いってことなんですね〜。

 

 

takuteto.hatenablog.com