Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

幻想を見破る第一歩

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【はじめに】

ほーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

ま、僕らはなんにもない空間に、架空の輪郭線を引くところから、
この世界のストーリー作りをしているわけです。

そして、な~んでもないものに輪郭線を書こうと思ったらね。
内と外を作らなきゃならないわけなんですね。

そして、内と外を作っちゃうと、内から見ると外は内ではない。
つまりは否定を作らなきゃならないんですね〜。

ま、そうやって、思考は輪郭線を書いていくわけです。

この輪郭線こそが分離の線というわけですね。

だから、僕らは何かを知ろうとする時、
どこにこの輪郭線を引けば良いのか?を探ろうとするわけです。

だからねー。
ついつい僕らは何かを知ろうとする時、
何が違うのか?
というところを知ろうとしちゃうクセがあるんですよねー。

つまり何を否定すれば良いのか?を探ろうとするわけです。

そして、このクセがね。
いわゆる真理の探求の妨げになったりしておるわけです。

 

【分離はストーリー】

分離というのは、ストーリーの元になっておるわけですが、
この分離には何かを否定することが欠かせないわけです。
これがあって初めてストーリーは展開するということですね。

だからいわゆる気づきもすぐに体験化しストーリーになってしまうというジレンマもあるわけです。

「そうか!そういうことか!今までの考え方は違ったんだ!」
みたいなね。
そういう発見は、その瞬間はある種の気づきを与えてくれるわけですが、
やはりまだ、これもストーリーの一部なんですよね。

わかったことを確かめようとすればするほど、何かを否定してしまうわけです。

【否定のクセは抵抗を生む】

ま、そうやって生まれる否定の概念はね〜。
あるがままの今に対する抵抗を生むんです。

変な話、あるがままのそのまんまの今に概念上で抵抗するっていうね。
そういうことが始まってしまうわけです。

ただこの概念ってね。
あるようにみえてないものですからね。
ないものに抵抗したところで、それは空を切るようなもので
いつまでたっても手応えは感じられないんですよね。

【わかろうとするジレンマ】

今のまんまでもう正解なんです。
わからないなら、わからないことがもう正解なんですよね。
この正解を受け入れるかどうか?
これだけのことなんです。

ですが僕らはすでに幻想を観ておりますのでね。
今のまんまでいいなんて到底思えない。
それで悟ったとも思えないし、
受け入れられーん!
ってなるわけです。

それが今のまんまの正解を遠ざけちゃってるんです。

今のまんまの正解とはいわゆる真理です。
そして、その真理は目の前にあるのに、それは到底受け入れられんっ!
って抵抗しているんです。

【幻想からの目覚め】

なぜ抵抗するのか?というと、すでに幻想をみているからなんです。
幻想を通して、今をみているといったほうが正しいかも知れません。

となると、なんとかこの幻想を通さずにしなきゃならないわけですが、
夢の中で夢に気づくというのは、ちょっと無理なんです。

夢の中で夢に気づいても、それもまた、夢に気づいた夢を見ているに過ぎない。
っていうね。
妙なループにハマってしまうんですよね。

だから、幻想を見破るコツとしては、とりあえず、今、そのまんまでいいじゃんってね。
ウソでもいいから許してみるということなんです。

すると、
「んなわけないだろー!」
っていうね。
そんな強烈なエネルギーをきっと感じると思います。
このエネルギーこそが幻想を作る動力源なんですよね。

この動力源を見つけること。
これが幻想を見破る第一歩なんです。

 

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