Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

別に気分に気を使わなくてもいいのよ

はじめに

はーいどうもー!
タクさんです。

みなさん、今日のご機嫌はいかがでしょうか?

このご機嫌というのは、気分のことなんでしょうね。

ご機嫌よう!という挨拶も、「いい気分でねー!」みたいな意味なんでしょうけど、英語でもよく気分のことを挨拶で言ったりしますよね。

How are you?だって、気分について言ってますもんねぇ。

そう考えると、
僕らは結構この気分について気を遣っているのかもしれませんね。

そして、気分が悪いとなんとかしていい気分に持っていかないと大変だー!
ってなっちゃったりするんですよね。

でも、よくよく考えてみると、そんなに気分に気を使う必要ってあるのか?
と感じたりもするものです。

気分は、映画におけるBGMみたいなものですからねー。
このBGMに思考のストーリーはかなり引っ張られてしまいます。

だから、気分が悪いと、思考のストーリーもどんよりしたものになっちゃうわけです。

この辺が、僕らが気分に気を使う理由なのかもしれませんね。

でもやっぱり、気分の奴隷になり続けるのってちょっとシャクじゃないですか。
そこで、気分の奴隷になってるなーって気づいた時に、ちょっとしたハックをしてこの気分の奴隷から離れてみましょう!
ってなことをテーマに、書いていきたいと思います。

 

・気分とストーリーの関係性

気分が思考のストーリーを作り、そして思考のストーリーは気分を作ります。
この連動がバッチリハマることで僕らは嫌な気分と不安な思考を延々と繰り返したりするわけなんですねー。

ですので、この連動をちょっと狂わせてやればいいんです。

映画でもそうです。

悲しいシーンでは悲しいBGMが流れていているからこそ、この悲しみが表現できるわけですが、悲しいシーンで変な曲が流れていたら全然感情移入できませんよね。

この狂いを利用して、感情移入の度合いを和らげるんです。

そもそも、思考ちゃんというものは、ものすごく高性能な働きをしてくれるわけですが、思考というのはストーリーでもありますので、二つ同時にストーリーを進めることってできないんですよね。

だってややこしいですもんねぇ。

この特性を利用するんです。

・わからんことは考えなくてもいい

嫌な気分で不安なストーリーに巻き込まれている時って、大体はどうしようもないことを考えていたり、どうなるかわからないことを考えてたりすることが多いんですよね。

簡単に答えがわかることを延々と考えることってできないですからね。

ということは、今考えてもわからないということは確定しているわけですので、もうこれ以上考えても仕方のないことということも確定しているわけです。

ですが、嫌な気分はそのまんまなので、ダラダラと続けちゃう。
なんてことになるわけですので、ちょっと別のこと考えてみたらいいんです。

例えば、
「目玉焼きは醤油か塩か?」とか、
「アホとバカという方言の境界線はどこからなのか?」
「バカという言葉は、中国由来だけど、アホはどこ由来なのか?」
みたいな感じですね。

するとちょっと気分と思考の歯車が狂い始めます。

・気分を変える

そしてね。少し狂い始めたなら、今度は手近なものでいいので何かしらに感謝してみればいいんです。

「いやー、このチョコの味を味わえるのって、よくよく考えたら有難いことだよなー!」
とか、
「こうやっていろんな物事を感じ取れるってなんかすごいよな!」
って感じでね。

対象はなんでもいいんですが感謝してみると、今度は気分の方も変わってくれるんです。

そして最強なのは、嫌なことがあること、嫌いな人、嫌な気分にさえも形だけでいいので感謝してみると、気分もそれに合わせて変わってくれるのでオススメです。

これは、気分をよくしなきゃならないというわけじゃなく、
へぇ〜、気分って本当にBGMみたいなものなんだーってなことを知るきっかけくらいに考えたらいいかと思います。

気分をずっと良くしなきゃならないっていう思いは、ある種の呪いみたいなものでして、
この呪いにかかると気分の奴隷になってしまいます、
でも、別にそんなことはないんです。

気分がどんなものであろうとそれでいいんですよねー。
これは思考にしたって同じで、別に思考もどんな思考でも別にいいんです。

もちろん、嫌な気分が重い時はなかなか役に立たないかもしれませんが、多少の嫌な気分には試してみてもいいんじゃないかなーって思います。

 

 

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