Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考ちゃんの幻想の仕組みと執着からの解放

はじめに

はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

さてさて、ここでも思考は幻想ですよ〜!ってなことをよく言っているわけなんですが、
でも、思考は幻想だ〜!って言われちゃうとちょっと混乱しますよね。

思考というのは正しい本当のことを知りたがっていますので、それが幻想だと言われると、だったら何が本当なんだ??ってなりますもんね。

更に言うなら、
目の前のコップはちゃんとコップだと認識されてますし、これが幻想だとはとても思えません。
だって、ちゃんとコップはさわれるし、その質感をしっかりと確認することが出来る。
中の飲み物をちゃんと飲むことが出来るし、飲み物は明らかにこのコップの中に入っていたものですものね。

どう考えてもこれが幻想なはずはありませんからねぇ〜。
これを幻想だと言われると、どう捉えたらこれが幻想になるんだ??
さっぱりわからんぞ??
ってなったりするんですよね。

というわけで、今日はそんな幻想の仕組みと思考ちゃんのことについて書いてみたいと思います。

 

・思考ちゃんはひとつの機能

さて、そんな思考ちゃんなんですが、これはひとつの機能なんです。
体の機能のひとつなんですね。

肺が酸素を血液に送り込む機能であったり、
心臓が体内に血液を送り込む機能であったりするのと同様に、
思考ちゃんは、イメージの中であらゆるものを分割し、分割されたものにラベルをはって区別する機能を持っているんです。

そこから、区別されたものに価値という架空の単位みたいなものを貼り付けてみたり、さらには区別されたこれらを小道具としたり登場人物に仕立て上げて、舞台設定を用意してストーリー紡ぎ出すといった機能まで持っているんです。

そして、そんなストーリーに耳を傾けそれを真実だと錯覚することで体感覚も刺激され、
分割された世界の中で緊張感にさらされたりするわけです。

・思考の幻想の仕組み

つまり、思考ちゃんは認識したものに対して瞬時に解釈をするという機能なんですね。
そして、解釈をするための材料としていろんなものを分割するわけです。

そして、その分割をする際に架空の境界線を作るわけですね〜。

この境界線は架空のものですから実際には存在していないというわけです。
国境だって実際にそういった線が引いてあるわけじゃないですもんね。
そんな感じです。

でね。
この境界線が架空なのだとしたら、そこから作られる解釈もまた架空のものですよね。
だから、この架空の部分は幻想だということなんです。

コップを触った時に感じる感触。これは事実です。
ですが、これは「コップ」であるというのは、勝手にそう呼んでいるだけであって、
触って感触を感じるからこれは「コップ」であるとはならないんです。

感触と「コップ」と呼ぶことは関係ないですからね〜。

これが、思考の幻想の仕組みなんです。

・執着からの解放

僕らは元々、思考の幻想づくりのことについては知っていたはずなんですよね〜。
幻想を幻想としてどこかで分かりつつ機能させてたって感じです。
ま、誰かがやってるわけじゃないんですけどね。

それがそのうち、その幻想づくりという意識が薄れていって、まるで思考のストーリーが事実であるかのように錯覚していったわけです。

なんか、最初は意識して歩いていたのが、普通に歩けるようになってくると歩くことへの意識が薄れるのと似てるかもしれません。

そんな感じで、思考はあくまでも思考でありイメージであるということが忘れ去られて、そのうちに思考の中の分離感で自分自身を縛っていたんです。

この思考への執着は、思考の中の分離が剥がれ落ちていくことで消えていきます。
その分離が剥がれ落ちる時の感覚がなんとも切なく、それでいて温かいっていうね〜。
なんとも言えない感じなんですが、それも分離感を無理に剥がそうとするのではなく、ただその分離を受け入れそのあるがままにしておいてあげることで、自然と剥がれていってくれるんですよね〜。

 

 

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