Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

価値という幻想

はじめに

はいどもー!
おはようございます。
タクさんです。

みなさん、今日もイケイケでしょうか?

そんなイケイケなみなさんの子供の頃は足の速さもイケイケだったんでしょうね〜。
これは男子に限られるのかもしれませんが、子供の頃ってやたら足の速さが重要視されたりしましたよね。
体育の時間のリレーの時間になったりすると、やたらと50m何秒なのかを言い合ったりしてね〜。

ちなみに、僕は足が遅いくせにやたらと足が早そうだと思われてたのが重荷でした。

あとは、僕が子供の頃は牛乳のフタを集めるのが流行ってましたね。
大量に牛乳のフタを持ってる子なんてもう大富豪でしたもん。
しかも給食で出る牛乳とは違う変わったフタなんか持ってたらもう羨望の眼差しですもんね。

なんで牛乳のフタにあれほどにまであこがれてたんだ?ってね。

でもね。
これって子供だからってわけじゃないんですよね〜。
ぼくらって、大人になっても対象が変わるだけで同じようなことをやってるんです。
その頃の流行りが変わるだけなんですよね〜。

 

・イケイケポイントはただの流行りみたいなもの

例えば思春期になってくると、顔が良かったり成績が良かったりがイケイケポイントになるんでしょうかねぇ?
ちなみに、僕が中学生の頃はズボンが太ければ太いほどかっこよかったという覚えがあります。
あと、ギターが弾けたらオッケーみたいなところもありましたね〜。
で、今度は大学の偏差値なんていうポイントがあったり、社会人になったなら、資格を持ってるか?だとか、どこの企業で働いているか?年収はいくらか?みたいなことになったり、
いい服をきてたり、いい車に乗ってるというのがイケイケポイントになるんでしょうかねぇ?

そして、年を取ってくると今度は、血圧の高さだとか持病をいくつもってるか?などがイケイケポイントになってきたりしてね。
健康の話題に夢中になったりしてね〜。

・比較から始まる錯覚

そんな感じで、その時々のイケイケポイントに僕らは振り回されちゃったりして、誰かと比較して、自分のイケイケポイントが足りないとまるで自分は「足りない人間」だ!って思い込んじゃったりしてね〜。
そうやって悩んだり、今後の自分の将来に不安を持ったりしてね。
それだって、将来の自分はちゃんとイケイケポイントを稼げているのか?という不安だったりしてね。

なんやねん!その必死になってるイケイケポイントとやらは??
って話なんですけどね。

当事者はそれこそが自分を決める価値だと思いこんじゃったりしているわけです。

・価値という幻想

でもね。
これだって、子供の頃の足の速さや牛乳のフタと同じようなものでしてね。
今から思うと、そんなものでヒトの価値なんてつけられるわけ無いじゃん!って思いますもんね。
それと同様に、もし自分は何かが足りていないと感じているのなら、それって幻想なんです。そんなものの価値にだまされて、だめな自分を作り上げては不安になっちゃうのってちょっともったいないですよね。

牛乳のフタがないことで自分に価値がないと思いこんでいるのと同じですからね〜。
思い込んでいる間だけ、それに価値があると思いこんでいるだけなんですよね。

それは、夢を見ている間だけ、その幻想の世界が真実だと錯覚しているのと同じようなことなんです。

ちなみにね。
私はまだ悟りや目覚めにはなにかが足りないって思っているのも同じ幻想ですよ〜。
そう思い込んでいる間だけ、それが真実だと錯覚しているだけなんです。

 

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