Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

探求が終わらない理由

はじめに

はぁーい!
金魚大好き!タクさんです。
金魚ってね。
ものすごく種類のバリエーションが多いんですよ!
しかも、種類が同じでも顔や形や模様もみんな違うんですよね〜。

そこがなんか、一期一会って感じで好きです。

金魚の種類は大きく分けて二種類あって、長物と丸物に分けられます。
長物とは、いわゆる金魚すくいなんかでよくいるフナのようなスタンダードな形をしたものでして、丸物は「らんちゅう」なんかを代表とする丸っこい形が特徴なんです。

ちなみに僕は丸物の金魚が好きです。

そんな金魚ですが、種類のバリエーションが豊富だということもあってか、売られている値段もものすごく幅があるんですよね。

安い金魚だと100円くらいからありますが、高い金魚だと5万円以上なんてのも全然珍しくありません。

高い理由も様々でしてね〜。このへんは個人の価値観によるところもありまして、人によっては5万円でもやすかったりするわけです。

このあたりも面白いところですよね〜。

そんな価値観なんですが、あくまでもこれって思考の上でのものなんですよね。
実際に価値というものが存在するわけではありません。
例えば、ダイヤモンドにしたって、石の中では価値があるとされていますが、地球に存在する石ころの中では、平凡な石ころということになりますもんね。

 

・真実や真理は平凡なもの

さてさて、
「世の中、何が正しく何が間違いなのか?何が真実であり、何が真理なのか?」
「全くわからないぜ!!」
って感じておられる方もいるかと思います。

ですが、これってホントはおかしな話なんですよね。
真理も真実もその辺にいくらでも転がっているものなんです。
おそらくこの世で一番平凡で一番当たり前のものが、真理や真実なんです。

だってウソさえつかなきゃ良いだけですからねぇ。
もしかしたら、地球上の生物で「真理や真実がわからん!」って思ってるのは僕ら人間だけかもしれませんね。

・探求が終わらない理由

では、なぜそんな平凡であるはずの真理や真実を僕らは探求するハメになってしまうのか?
と言いますと、僕らは仮想現実を共有するという習性を持っているからだと思います。

しかも僕らって、仮想現実を共有しているということすら忘れちゃってるんですよね。
むしろありとあらゆる真実はこの仮想現実の中にあると錯覚しているんです。

仮想というのは、まあウソみたいなものですからね。その中で真実を探そうとすると真実がとてもレアなものだと勘違いしてしまっているんです。

しかも、超レアなものだと思ってますから、真実はとても価値のあるものだ!という勘違いも生じてしまっているんです。

中には、真実は神の領域である!といった勘違いもあったりするんですよね〜。

・探求の終わり

僕らって子供の頃から
「これってどういうこと??」
「なるほど!そういうことかー!」
ってな感じで、物事を覚えたり知ったりしつつ知識を蓄えてきたわけじゃないですか。
そうやって僕らはこの仮想現実の中のルールを叩き込み、叩き込まれて来たわけです。

だからついついこういったお話についても、
「つまりはどういう事だろう?」ってわかろうとしちゃうんですよね。
だから延々と仮想現実の中に真実を探し求めてしまうんです。

それよりも、この仮想現実を今だけ一旦置いておけばいいんです。
あらゆる判断、思いを採用せず、ただ今ココにたたずんでみますと、
目の前の当たり前の真実が目覚めてくれるんです。

 

 

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