Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

感覚を味わうってどんな感じでやるの?

はじめに

はいどうもー!
オハです!タクです!
オハタクです!
ってねー。
ゆーてますねんけど、、、。

さて皆さん。
OKって言葉ありますよね。これ、なんの略かご存知ですか?
これねぇ。
「All Correct」の略なんですよ。意味は全て正しい!といったような意味です。

でもそれだと、略したらACになるはずじゃないですか。
それがね。Oll Korrectって間違って書いている人がおりましてね。それをとある新聞がいじってOKという略語を作ったんだそうです。
そこからOKという言葉が生まれたんです。

つまり、OKという言葉は正しいという意味合いが含まれていますが、その言葉自体は間違いから生まれたっていうことなんです。

これってちょっと皮肉ですよね〜。

 

・感覚をただ味わう

よく感覚をただ味わってみましょう。感じてみましょう。ってなことを言われてたりするじゃないですか。
僕もここでよくそういう表現をつかっています。
ですが、中にはこの「味わってみる・感じてみる」というのがよくわからないという方もおられるかもしれません。

確かに、「味わってみる・感じてみる」というのって具体的にどうやったら良いのか?ってちょっとよくわからないですよね。

ですので一旦、感覚ではなく食べ物を味わうというところで考えてみるとわかりやすくなるかもしれません。

・味わうは誰かがやっているものではない

僕らって何かを食べるとその味を感じますよね。
でもこれって、誰かがやっているわけじゃありません。
どんな味として味わうのか?すら誰かが決めているわけじゃありませんからね〜。

試しに、激辛ラーメンを食べながら、味わいはチョコレートパフェの味として味わってみよう!って頑張ってみてもきっと出来ないですもんね。
僕らは味わいに関しては常に受け身であって、自発的な行為とはちょっと違うんです。

でも、ちゃんと味わって食べるっていうのは出来るような気がしますよね?
これはどうしているのか?というと、邪魔をしないようにしているんです。
味わいは向こうからやってきます。それを邪魔しないってことなんです。

例えば、あなたが精魂込めて作った料理を、なんかスマホをみながら食べられたり、ゲームをしながら食べられたりすると、イヤですよねぇ。
「ちゃんと味わって食べてよ!」
って思いますもんね。

これは、せっかくの味わいをスマホやゲームなんかで邪魔しないで!ってことですもんね。
味わい以外のことはやめてよ!ってことです。

・今ココにある感覚を味わう

今ココにある感覚を味わうというのもこれと同じようなことなんです。
せっかくの味わいを僕らは邪魔しているんです。

では、何が邪魔しているのか?というと思考で邪魔をしているんです。
スマホやゲームとおなじような思考で邪魔をしているんですね〜。

今ココにある感覚は一期一会です。今にしか無い感覚です。
せっかくのそんな味わいを思考で邪魔をせずに在ってみましょうってことなんです。

ちなみに、これは観察することではありません。
感覚に名前をつけたり、分析することも邪魔になります。

この感覚は悲しみだ!苦しみだ!ってつい名前をつけて、この悲しみはあの時の経験からくるものだ!こういう事があったから苦しいんだ!
って、僕らはすぐにそうやって感覚に名前をつけて、ストーリーにしてしまいますが、これこそが、せっかくの感覚を邪魔してしまっているんです。

ですので、それもとっぱらって、生の感覚だけをただ味わってみれば良いんです。
邪魔さえしなければ、勝手に味はやってきてくれます。それをただ感じればいいだけです。
感じることさえ誰もやってませんので、僕らは何もやることがありません。
ただ身を任せるだけなんです。
感覚にはあらゆる判断も入り込む余地なんて無いんです。

そんな、名も無い、なんでもない今に在ってみるんです。
ただ在ってみることによって、それが気づきや目覚めの呼び水になってくれるんです。

 

 

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