Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

理屈は存在しない

はじめに

はぁーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

さてさて。
こういったお話でよく聞くフレーズとして、
こんなのがあるじゃないですか。

例えば、

「善も悪も存在しない」
「個は存在しない」
「時間は存在しない」
はたまた、
「私は存在しない」

「ココもアソコもない」
「あるのは、いまココだけ」
「今ココだけしか無いから、今もないしココもない」

ってね〜。

こういうフレーズを聞くと、やっぱり僕らって、
ムクムク・・・っと、それはどういう理屈で言っているのか?
ってことを知りたくなる気持ちが湧いてきますよね〜。

「善悪がない??個も私も存在しない??なんでや??」
ってなりますもんねぇ。

この理屈を求めてムクムクっと湧き上がってくる「なんで?」っていう気持ち。
こいつがね。いわゆる探求の反応なんです。

この反応に乗っかると、
せっかく探求につかれてそこから脱却する方法を知りたくて非二元にたどり着いたのに、
余計に探求が加速しちゃうっ!なんてことになっちゃうんです。

 

・理屈は存在しない

「善も悪も存在しない」
「個は存在しない」
「時間は存在しない」
「私は存在しない」

ってやつはねぇ。
要するに理屈は存在しないということなんですよね。

理屈って存在しないんですよ。ただ思考だけがあるとしている仮定のようなものなんです。
思考の出発点が理屈になりますもんね。

この理屈がないという発見の上で出てくる言葉が、
この善悪が存在しないだとか、個は存在しないといったやつなんです。

探求って理屈探しのようなものでもあるんですがね。
この理屈がないという発見によって、
「ああ、、、!」って感じで、
「理屈が幻想なら、アレもないし、コレもないし、うほーっ全部ないじゃーん!
有ると無いすら無いじゃーん!」
ってな感じで、あれこれ付随して気づいてくるんです。

・わからんままに在ってみる

でね。そうなると
「理屈がない発見をするには、どうしたら良いのよ!」って話になるかと思うんですが、
どうしたら?というのもこれまた理屈探しになっちゃいますのでね〜。

まずは、その理屈探しを置いておくことなんです。
理屈を追っかけずにただ在ってみるってことですね〜。

その時、どうしてもウズウズしちゃいますよね。

理屈探しを置いておくとは、わかろうとせず、わからんままに在ってみる。
ということなんですが、「わからんまま」って落ち着かないですからね。

どうしてもすぐ落ち着きたい!
スッキリとする理屈がほしいっ!

ってウズウズしちゃうものなんですが、
それもまた、横において、ただわからんままに在ってみるんです。

この落ち着かないって感覚は、今まですぐに理屈に飛びついていたクセがあるので、
飛び付かずにただ在ってみるというのは、慣れて無いんです。

でもこれって、単なる慣れの問題ですので、わからんままに在ってみると、
徐々にこの落ち着きのなさも収まってくれます。

そうすると、
「あれ?なんで必死に理屈を追いかけてたんだろう?」
「なぜそんなに理屈が大切だったんだろう?」
ってね、逆に理屈を追いかけることに不思議さを感じるようになるかもです。

だって、理屈で腹がふくれるわけでもないですもんねぇ〜。
何を必死になってたのか、、、?ってなもんです。

 

 

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