Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

注文の多い思考ちゃん

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

小学生の頃の国語の教科書には色んなお話があったりするじゃないですか。
そして、あの頃に読んだ(読まされた?)物語って意外と大人になっても残ってたりするもんですよね〜。

僕の心に残っているのは、
ひとつは「スイミー」ですかね。
小さな黒いお魚のお話です。
そして、
「スーホーの白い馬」ってお話もなんかも残ってます。
可哀想なお話だったと思います。

あとは、注文の多い料理店もなぜかやたらと残ってるんですよね。
宮沢賢治お話です。

どんな話かと簡単に言うと、
料理店に入った二人組が逆にあれこれ注文されて、
やれドロを落とせだとかクリームをつけろとか、塩を揉み込めとか言われた後、
結局この料理店の料理はこの二人組の方だった。
みたいなお話です。

ものすごーく端折りましたが。

皆さんはどんなお話が心に残ってますでしょうか?

 

思考に問題はない

良くある勘違いとして、思考が悪いのでこの思考を追い出さなきゃならない!
なんてことが、いわゆる悟り、非二元界隈であったりするんですけど、思考は別に悪いものじゃありません。
思考はいわゆる景色のようなもの。
または、一つの生理現象のようなものですのでね。

思考が起こるのは何ら悪いことではないんです。

ただ、思考に巻き込まれることで、僕らは目の前の「コレ」を置き去りにしてしまう。
ということなんですよね〜。

注文をいちいち聞かなくて良い

そんな思考に巻き込まれてしまう一つの要因としてはね。
思考からくる注文を聞いてしまうってところにあると思うんですよ。

まさに、注文の多い料理店です。

思考ちゃんはあれこれと注文をしてきます。

「このままじゃダメだよ〜。」
とか、
「あの件はどうなった?」
とか、
「将来のことについてはちゃんと準備ができているのか?」
とかね。

そして、この注文を聞いちゃうと、注文の多い料理店のように、
本来はこちらが味わう側だったはずなのに、いつのまにか思考に食われてしまうっていうね。
そんな感じになってしまうんです。

良きに計らえでオッケー!

そんな思考の注文をね。
いちいち事細かに聞かなくても良いんです。

思考は景色であり生理現象の一つですからね。

へぇ〜。そんな思考が起こってるんだ〜。
くらいに流してあげるだけで良いんです。

あとは、良きに計らえ。
って感じでおまかせしておけば良いんですよね〜。

あれこれ起こる思考によって、感情もまたいろんな味わいを演出してくるんですけどね。

これこそ、僕らが味わうものなんです。
注文を聞くんじゃなくて、やってくる思考や感情をただ味わっていれば良いんです。

面倒くさいなぁ〜。ってことがあれば、その味わいをただ味わうんです。
腹が立つなぁが起こったならそれを味わい、
素晴らしいなぁが起こったならそれを味わう。

僕らはあくまでも味わう側ですのでね。
そうすると、あらゆることはただ起こって消えていく。
そして、その静寂に身を委ねていれば良いんです。

 

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