Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考は退屈をきらう

はじめに

はーい。
どうも、
もうこれ以上の3文字アルファベット略語を
撲滅したいと思っているタクさんです。
おはようございます。

皆さんは、普段からオシャレにアルファベット3文字略語を駆使されておられるのでしょうか?

3文字略語ってのは、例えばこういうやつです。

ASPにCEOにJPGにPSDにCSSにDNAにETCにFTPにGNPにGPSにOCRに・・・・・・

僕の中では、もうこの3文字略語はこれ以上入らないってほど飽和しておりまして、
いっぱいいっぱいになっております。

これって、無限に増殖してません?昭和の頃にはあまりなかったですよねぇ。
どうしてこんなものが無限増殖するようになってしまったんでしょうか??
もう、勘弁してほしいっす。
しかも、英語もよくわからないから、略す前の元の言葉を聞いてもピンとこないし、、、。

まあこの3文字略語ってのもね。略したほうが楽だったから始まったんだと思うんですよ。
でも、増え過ぎて楽どころか苦痛になり始めているんじゃないの?って思うんですよねー。
きっとみんな使いこなせる数ってある程度までで止まってしまうと思うんですよね。
だから人によって使う3文字略語の種類をみると大体この人の仕事内容がわかってしまう。
なーんてこともあるのかもしれませんね。
いわゆるなんかにな業界用語になってしまったというか。

これは、楽をしようとした結果、逆に言語の断絶を生んでしまったのでは?と思うのはちょっと大げさですが、とにかく、僕はもうとっくに飽和してしまいました。

 

僕らは信じたガール。

さてさて、昨今はこんなブログよりもtwitterのほうが流行ってますし、
さらには、文字コンテンツよりも映像のほうが俄然流行っております。

これもね。
きっと、読む文字が少ないほうが楽だし、
さらには、文字を能動的に読むよりも、受動的に見たり聞いたりしたほうが楽!
っていうことで、動画コンテンツの方に流れていっているんだと思います。

これは、新聞からラジオ、そしてテレビへと流れていったのと同じですね〜。

ちなみにね。
「僕らは常に思考をしている。そしてこの思考が、目の前の事実を覆い隠しているんだ〜!」
なーんてことを、ココでも言ったりしていますが、
この思考もね。
実は能動的に考えるよりも、何かしらの考えを受け取るほうが楽なので、
僕らは、自分で思考をするよりも、誰かの考えを聞いて、それを信じたいって思ってるフシがあるんです。
だって、その方が楽ですもんね〜。

思考も大体が繰り返し

でね。
思考がくるくる~って回るのも、大体が同じことの繰り返しだったりするんですよね〜。
バリエーションがないんですよ。
これもね。
考えているようで、考えておらず楽をしているんですよね。

でも、一応ずっと回しておきたいから同じことを繰り返しにしているんです。

なんか、新しいコンテンツを作るのが面倒なので再放送ばっかりやってるテレビみたいなものですね。

そして、それでも思考を回すネタが無くなってきたら、
なんかYouTubeでも流しておこう。
とか、
テレビでも流しておこうってしちゃったりもするんですよね。

僕らは、思考が好きだけど、自分で考えることは結構ダルかったりするんです。
ただただ、思考を常に回しておきたいだけだったりするんです。

そうやって適度な喧騒を頭の中に起こしておきたいんです。

なので、今ココにある静寂に在ってみるにはね。
まずは、そういう受動的な思考の種を一旦やめてみるのをオススメします。

とりあえず、YouTube流しとくのを一旦やめてみるとか、
あれこれと流れてくる思考を追いかけずに、とりあえず今はボーッとしてみるって感じでね。

この話は自分で確かめるためのキッカケにすぎない

思考は信じられるものを常に探していたりもしますのでね。
信じるに足る判断材料探しってのをやるわけです。
これが、いわゆる探求ってわけですね。

でもこの話は、信じられるのかどうかの判断材料ではなく、
自分で確かめてみるためのキッカケでしかありません。
つまり、信じるものでもないんです。

こういう話をきくとついつい

「私はいないってホント?」
「でもこの場合は?」
「このパターンなら私ってやっぱりいるんじゃない??」

ってね。
考えを回す方向にいってしまいがちなんですが、
それよりもね。

ちょっと入ってくる情報を置いておいて、
起こってくる考えも全部おいておいて、
そして、今、ココにある静寂にただ在ってみることで確かめてみるのをオススメします。

思考ってね。退屈を嫌うんですが、この退屈こそが静寂なんですね。

そんな退屈な静寂に在ってみると、
この静寂の中には私という概念の居場所はないんじゃんってことがあきらかになってくるんです。

 

 

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