Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

いつになったら気づきが訪れるんだろう?

はじめに

はいどうもー!
タクさんです。
おはようございます。
みなさんご機嫌いかがでしょうか?

さてさて、
「いったい私はこれからどれくらいの探求を繰り返せば良いんだろう?」
「いつになったら気づきの片鱗がおとあうれるんだろう?出来ることなら早目にお願いしたいんだけどねー」

なーんてね。
そんな風に思ってる方もおられるかもしれませんね。

僕なんかもそんなふうに思ったことがありまして、まるでクリスマス前のサンタさんを待つ気分って感じでした。

ただ、クリスマスなら日にちも決まってますから安心して待てますが、気づきっていうのはいつ来るって決まってませんからね〜。
そこにやきもきしちゃうってなもんですよね。

 

・まだ至ってないと思う理由

そんな、
「まだ探求が終わっていない」
「まだ私は至っていない」
って感じているということは、きっとそう思う理由があると思うんです。

例えばそれは、
「まだ思考が色々と現れてその思考に巻き込まれてしまう。」
といったものだったり、

「まだ私には体験が訪れていない」
といったものだったり、

「まだ楽になれていない」
というものだったり、

「まだ至福というものを発見できていない」
というものだったりね〜。

いろんな理由が思い浮かぶと思うんですよね。

そういう時の決まり文句が、
「それもまた思考なんですよ!」
だったりするんですが、それはわかってるけどでもそういう思考がまだまだわんさかでてくるんだよ!
ってなことですもんね〜。

・いわゆる状態は関係ありません

ですが、いくら思考が現れていようが、静寂であろうが、
楽だろうが、苦しかろうが、
探求をしていようが、探求が終わってようが、
そんなの関係ないんですよね。

もうすでに「ソレ」なんです。
すでに「ソレ」ということは、みんなすでに知っているんですが、当たり前すぎて見失っているんです。

そして、当たり前すぎることによってそこに至った!と思えるような証拠なんて存在してないんです。
むしろ、自分はそこに至ったのか?なんて問いは思考では答えられません。

ただ、なんで思考に答えてもらわなきゃならんのよ?関係ないやん!
って感じなんです。
思考の顔色を伺わなくて良いし恐れなくても良いんです。

思考というのはそういうものではないんですよね。
たくさんある身体の機能のひとつなんです。

・思考は恐れるものではない

とはいえ、じゃあどうしたら良いのよ〜!って話なんですが、
やはりそこは自分の感覚を感じてみるのがコツです。

どんな感覚かというと、ふわっとなにかが解けるような感覚です。
それが思考から離れた感覚なんです。

何かしらの言葉に触れたとき、また言葉に限らずそれは風景かもしれませんし、落ち着くイメージかもしれません。音や匂いでもOKです。

ふわっと解ける感覚を感じられたなら、そこに在って味わうんです。

あとは、くれぐれも焦らないことですね。
焦りは思考に引き込もうとする働きです。また思考を恐れていることで焦りを生じさせますが、そもそも思考は殴りかかってきませんからね。
恐れなくて良いんです。

 

 

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