Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

苦悩の仕組みと囚われからの解放

はじめに

はいどーもー!
タクさんです。
読みに来てくださってありがとうございます。

みなさんは、昨晩どのような夢をみられましたでしょうか?

夢ってのはまあ、頭の中のイメージであり事実というよりは妄想みたいなものなんですが、
みている間は事実っぽく感じるもんですよね〜。

そして、夢から覚めることで夢だったことに気づくわけですが、
僕らは朝起きて、
「あー、夢だったのか〜」となった瞬間、
夢を手放し、また別の妄想(夢)を掴み取ってしまうわけです。

そして、それを事実だと錯覚しちゃったりするわけなんですね〜。

その妄想の正体とは、まさしく思考であり、
「どうしたらこの思考の囚われからどうしたら抜けられるのか〜!」
って思っている方も多いかと思います。

ですが、僕らはすべての思考に囚われるわけじゃないんです。

例えば
「今日はいい天気ですなー!」という思いだったり、
「昨日の飯はうまかったなー!」といった思いには別に囚われたりはしませんよね。

そんな思考はさっと現れてまた去っていきます。

では、どういう思考だったら囚われてしまうのか?
このあたりを観察していくと、思考にとらわれる仕組みが見えてくるかもしれません。

というわけで今日はこの囚われの仕組みについて書いてみたいと思います。

 

・苦悩の仕組み

僕らがつい囚われてしまう思考っていうのは、
やはりそこに「抵抗」が含まれているんですよね。

「抵抗」というのは、「このままではいかん!」という思いです。
そして、「このままではいかん!」という思いは、思い通りにいかないということからきているわけです。

これって、目の前の「あるがまま」に何かしらの思いが乗っかっていて、その思いがあるがままとズレているときに「このままではいかん!」が出てくるわけですね〜。

ズレることで、思いが「思い通り」にいかなくなるんです。

そして、この「思い通りにいかない」という思いは、自分は足りないという概念もくっつけてしまうわけです。

思い通りにいくというのは、自分にとってより良いことになります。
自分がより悪くなるように思い描くことってありませんもんね。

ですが、思い通りにいっていることに思考は注目しません。
もうそれはどうでもいいことであって、それよりも他に思い通りにいっていないことはどこかにないのか?とチェックしまくるんです。

そして、それを探しては、「このままではいかーんっ!」ということで、なんとかしなければ!とどんどんその思考に囚われていくんです。

そして、思い通りにいかないという思いの背景には「足りない自分」という観念も混ざり込んでいますので、僕らは常に自分を足りないものとして責めてるんですよね。

そりゃー、しんどいはずです。

・囚われからの目覚め

ですのでね。
思考の囚われから目覚めるには、まず2つの許しが効果的になります。

1つ目は、「このままではいかん!」にたいして、「このままでも良いよ〜」という許し。
2つ目は、足りない自分に対して、「そんな自分でも良いよ〜」という許しです。

そんなふうに許せない!と思うかもしれませんが、それもまた「足りない自分」です。
許せない自分でも良いよ〜って許してあげたら良いんです。

そして、この許しが抵抗を溶かしてくれるんです。

抵抗とは、許せないという思い。「このままではいかん!」があるから起こるものなんですが、
それが許されるともうそこには抵抗がなくなっていきますからね〜。

そしてね。
そもそも、どんなものでも許されています。
許せないとしているのは、僕らがどこかで手に入れた観念によって、正しいと間違いという想像上の分断ができてしまったからなんです。
その観念が「このままじゃいかん!」をつくり、「思い通りにいかない」をつくり、「足りない自分」をつくり、そして苦悩を演出しているわけなんですね〜。

それは錯覚なんです。
その錯覚の夢から目覚めるには、まず、ウソでもいいから許してあげる。
そして、今にただリラックスしてみるということなんです。

 

takuteto.hatenablog.com