Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

【苦からの脱却】思い通りにいかないという苦しみ

はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

かの坂本龍馬の名言で、
「日本を今一度洗濯したく候」
って言葉があるんですけどね。

どういう意味かというと、
錆び付き身動き出来なくなってしまった日本を、もう一度洗濯してその錆を洗い流そう。

つまり幕藩体制として長年やってきた古い考えを一旦全部洗い流しちゃおうぜ!
ってことですね。

つまり坂本龍馬さんが洗濯したかったのは、厳密に言うと、日本というよりは、日本の人々の中にこびりついてしまった古い考え。
これを洗濯しよう!ということだったんですね〜。

そう。
僕らの考えってね。
いつの間にかこびりついて錆びついてしまうんです。

錆びついてこびりついた考えは、いっかい
ザッサーッ!と洗い流してやらんことには、
いつまでたってもその考えに固執し、捕まってしまうんです。

 

思い通りにいかないという苦しみ

確かに時代の空気が変わっているのに、古い考えに固執してしまっていると、
その考えは時代についていけなくなっちゃいますもんね〜。

すると、どうなるかというと、
「思い通りにいかない。」
ということばかりになっちゃうというわけです。

僕らの苦しみとは、
「思い通りにいかない」という思いから来ております。

これ、一見すると、間違った考えに固執しているから苦しいんだ。
って思っちゃったりするかもしれません。

そうなると、正しい考えはどこにあるんだ?
ってなっちゃって、僕らはつい正しい考え。
つまり答えを探して探求しちゃったりするんですが、
苦しみとは、間違った考えにあるわけではないんですよね。

苦からの脱却

間違った考えを正すこと。
答えを見つけること。

これが苦からの脱却じゃないんです。

間違った考えが苦を生んでいるようにみえますが、
考えではなくて、考えに固執してしまっていること。
それが苦の元凶なんです。

固執さえしなければ、考えや思考なんてものは無害なんです。

なので、ありとあらゆる思考を洗い流してやるというのは、
間違った考えを洗い流して正しい答えを得るためではなく、
思考に固執しなくても、大丈夫なんだ!ということに気づくための呼び水なんです。

思い通りにいかない現実という幻想

ではこの思考への固執というのは、どういうときに起こるのか?
というと、これまた、「思い通りにいかない」時に起こったりするんです。

これは、思い通りにいかない現実が許せないという思いがその奥にあるわけなんです。

この思い通りにいかない現実というのは、ある種の幻想のようなものなんですが、
この幻想によって僕らは苦悩し、一切皆苦という幻想を生じさせるんです。
一切皆苦とはあらゆることは思い通りにならない。
ということなんですけどね。
思い通りにならなければならないという思い自体が幻想によって作り上げられた思い込みなんです。

ですのでね。
いわゆる思考を洗い流すコツとしましては、
こびりついた思考や考えを洗い流し、まっさらにするというよりは、
思考や考えが起こったとしても、
「そう思ってるんだね〜。かわいいね~。ありがとね~。」
と褒めてあげて、思うがままにさせておいてあげるといいんです。

え?ゴシゴシと洗わなくてもいいの?それで錆は落ちるの?
って思われるかもしれませんが、思考って実体がありませんのでね。

アナタの心も別に汚れているわけじゃないんですよ。
汚れているという錯覚をみているだけでして、ホントはいつもピカピカなんです。
生まれたての頃と同じなんです。

固執をしなければ、そのピカピカのあるがままがちゃんと現れてきてくれるんです。

 

takuteto.hatenablog.com