Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考ちゃんの真の目的

はじめに

はいどおもー!
普段はわりと無口なタクさんです。

このようにブログを書いたりセッションしたりしてるくせに、
ホントはわりと無口だったりするんですよね〜。

たまにね。
ものすごい弾丸トークの人とかいるじゃないですか。
めっちゃテンポもいいし常に喋ってたりしますもんね〜。

早口の人ってきっと頭が良いんでしょうね。
頭の回転に言葉が追いつかないからきっと早口になってるんでしょう。
あれはあれで、スゴイっす。

ちなみに僕は関西出身なんですが、母もずーっとなにか喋ってるタチでして、
僕がわりと無口なのはそのせいもあるのかもしれません。

まあそれはさておきまして、、、。
今日は思考ちゃんの真の目的というテーマで書いてみたいと思います。

思考ってね。
そもそも、何かを解き明かしたり、問題の解決策を探ったりするものだ!って思われがちじゃないですか。

でも、それ以上の真の目的があるのかもしれないよ!というお話です。

 

・思考の真の目的

さてさて、何かを解き明かしたり解決策を探ったりする以上に優先される思考の目的ってなんじゃ?ってことなんですがね。

それがですねぇ。
思考の働きを止めずに働き続けること。つまり頭の中で喋り続けること。
ということなんです。

いやー。働き者ですねぇ、思考ちゃんは。

とはいえね。
ホントは思考って止まってることも多いんですけどね。
いざ動き出すと、止まらずに動き続けなきゃっ!って思ってるんですよね。
このあたりも、思考ちゃんのお茶目でカワイイところではあります。
ですので、思考ってずっと働きを続けようとするんです。

・止まると死ぬ!という錯覚

マグロやカツオのようなお魚って、止まると死ぬ!って言われてるじゃないですか。
あれは、エラで呼吸する際にエラを動かせないので、そこを水流によって補っているからなんですね〜。
僕らでいうと、息を吸うエネルギーを省略しちゃって風の力に頼ってる。みたいな感じでしょうか?
だから、ずっと動き続けるわけなんですが、それと似た感じで思考もまるで止まったら死ぬ!といった勢いでずーっと思考を回し続けたりするんです。

その証拠に、何も考えることがなくなってしまうような静か〜な状態になったりすると、途端に退屈さを感じたりしませんか?
そういうときってともかく何かを考えて退屈さを埋めようとしたりしますもんね。

YouTubeやテレビやラジオなんかをずっと流しっぱなしにしておきたくなったりするのも、何かしらの言葉に常に触れておくことで、かるーく思考を回しっぱなしにしておきたいからなんじゃないかな?
なーんて思ったりしております。

まあそんなこんなで思考を回し続けるんですが、
あれこれと不安を感じているときって、よくよく起こっている思考を書き起こしてみたりすると、なんだか壊れたスピーカーのように、ただただとりとめのないストーリーを繰り返しているだけだったりするんですよね。

・思考を回し続けるのはただのクセなんです。

この、思考をずっと働かせておきたいというのもクセみたいなものでしてね。
元々はそんなクセはなかったんですが、いつしかちゃんと考えておかなきゃ危ない!といったような思い込みができてしまったんですよね〜。
そして、このクセに甘んじていると、常に思考を回し続けようとしてしまいます。

その思考が楽しく愉快なものであれば良いんですけどね。
思考ってイヤラシイことに、嫌な思考を優先してしまいますからねぇ。
嫌な思考が優先されているときは、聞きたくもない嫌なストーリーを耳元で延々と聞き続けるなんてことにもなるんです。

ですのでね。
ちょっとした合間でもいいので、思考をとりあえず今だけ置いておいて、
なんでもない静寂にリラックスしてみるんです。
すると、徐々に思考を常に回すクセも収まっていきます。

ややこしいメソッドも必要ありませんし、特別な瞑想法もルールも必要ありません。
ただ、シンプルに思考を置いておいて、感じている感触を感じてみたり、ボーッとしてみたら良いんです。

 

 

takuteto.hatenablog.com