Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

他人が作った「私」と私が作った「私」は共に幻想なんです

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

僕らの悩みや苦悩の中で、
結構上位にくるのが「人間関係の悩み」だそうですね〜。

確かに、嫌な人と顔を合わせるのって、結構な苦痛ですもんね。
僕はなるべくそういう環境を作らないようにしてますし、
仕方がない場合はなるべく関わらないようにしております。

ま、そんな人間関係。
同じ人間同士なのになぜ悩まなきゃいけないのか?
っていう話なんですがね〜。

それは、僕ら人間にとって、同じ人間というのは結構大きな脅威だったりするからなんです。

人の脅威になる生き物のなかで、人を一番殺している生き物は「蚊」らしいのですが、その次に人の脅威になるのが「人間」なんです。

そりゃー、地球上に戦後なんて来たことはない。
なんて言葉もありますが、そうですよね。

人間とアリさんだけは、各地で延々と戦争をしていたりします。

また、歴史物語を紐解いてみると、権力闘争もよく描かれたりしてますもんね〜。

にしてもなんでおなじ人同士なのにわかりあえないんでしょうね?

僕はその理由の一因として、自分の中に作り上げる私像や他人像がそもそも間違っているどころか、幻想に過ぎないということに気づいてないからじゃなかろうか?
って思ったりするんです。

自分の中の私像と他人像??
なにそれ?
って話なんですが、今日はそのあたりについて書いてみたいと思います。

 

・私のことを分かってくれる人はいない

「ああ、だれも私のことをわかってくれない!」

「どうせあなただって、わたしのことわかってないんだわ!!」
なんてセリフをドラマなんかでもよくありますよねー。

これってね。
結局のところ、
自分の中の私像と他の人の私像が違うってことですよねぇ。

だから、あの人は私のことを分かってない!
とか言い出すわけです。

でもねぇ。
そりゃ、当たり前なんです。
そもそも、自分が思っている他人像だってその他人が思っている自分像とは全く違うものですからねー。
他人が自分に対して思っている自分像だって違って当たり前なんです。

そしてね。
ココが大事なんですが、誰の私像が正しいとかそういうのってないんですよね。

つまり、みんな自分の心の中で、
「私はこういう人、そしてあの人はこういう人」
って勝手に決めつけたりしているわけですが、これって全て違うということです。
そもそも、正解すら無いんですよね。

・他人が作った「私」と私が作った「私」は共に幻想なんです

だってみんな判断基準が違うじゃないですか。

賢い人がスゴイ!と思う人もいれば、
面白い人がスゴイ!って思う人もいますし、
足が速いことがスゴイ!って思う人がいる反面、
自転車があるんだから、足が速くても意味ないじゃん!って思う人もいるわけです。

この辺は好き嫌いですのでね。

セロリが好きだったりバナナが嫌いな人もいるわけです。

好き嫌いや判断基準のバイアスがかかってしまう限り、
誰かのことをどのような人だと思ったとしても、
それはもれなく錯覚なんですよねー。

いないんですよ。
そんな人。

これは自分に対してもそうです。
「私はこういう人間だ!」って思っていたとしてもそれもまた正解ではないんです。

あなたが作った自身の人物像も、他人が作ったあなたの人物像も等しく架空のものなんです。

そんなわけですからね。
そもそも存在しない「私像」を誰かに押し付けようとしたところで、
それはできない相談ですし、そもそもあなたが持っている「私像」も架空のものですからね。

誰かに自分が勝手に作り上げた「私」を分かってもらおうとしても、そりゃー思い通りにはいきません。

思い通りに行かないことをわざわざ作っちゃうことで苦悩になってしまうんですね〜。

 

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