はじめに
はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。
10年以上、日々、この「なんでも無いもの」についてブログを書いております。
でね。
これって「なんでも無いもの」じゃないですか。
だからねー。
「こういう話を聞いて何か意味があるんだろうか?」
って思われる方もおられるかもしれません。
最初は、なんか自分が「悟った人」じゃないですが、
なにか特別なものになれるんじゃないか?
みたいなワクワク感があったりするかもしれませんが、話を聞いているとそういうことでもなさそうだ、、、。
となりますとねー。
「ん?となるとなにか意味や意義ってあるのかな?」
って感じたりするもんですからねー。
そして、確かに意味はないんです。
だってそもそも、
分離はない、正しいも間違いもない、私もいないし、あらゆることに意味も意義もない。
って言ってますからねぇ。
だったら、聞いたって意味がないじゃないか!
っていうのはその通りなんですよね。
ですが、意味がないから良いってことなんです。
・意味や意義といったものに支配されなくてもいい
さてさて、
なんで意味がないのが良いのよ!って話なんですが、
それは、
「意味や意義といったものに支配されなくてもいいんだよ!」
ということだからなんです。
僕らは何かをやるにつけ、
「これをやって何の得があるんだろう?」
とか、
「これにはどういった意味や意義があるんだろう?」
といったことにこだわっちゃいますよね?
生まれついた頃から、小さい頃までは、
そんな事考えたことはなかったはずなんですが、
いつしか、
「これって意味があるんだっけ?」
といったような思いに徐々に支配されていくんですよね。
これって、厳密には僕らがそうしているわけではなく、
思考としてそういう思考が起こっているということなんですが、
この思考の言いなりにならなくてもいいということなんです。
・わからないものをわかろうとするのは思考の働き
思考は意義や意味を探求するようにできています。
そもそも思考という働きそのものが、あらゆる物事に意味や意義を見出そうとする働きなんです。
これは単に、心臓というものが身体中に血液を巡らせようとする働きであるというのと同じようなことで、単にそういう働きに過ぎないということなんです。
また、私という概念もまた思考の中にありますが、そもそも思考というものが実体のない仮想のものを作り上げる機能でもありますのでね。
そういう意味で意味も意義もないし、私もいないし、正しいも間違いもないよーということなんです。
だからね。
よく、こういう質問をいただくんです。
「私はいないというのがわからないです」
「正しいと間違いがないというのもわからない」
「意味や意義がないとなんだか虚無感を感じる」
みたいな質問ですね。
でもわからないものをわかろうとするのは思考の働きなんです。
そして、それは誰かがコントロールしているものではありません。
単に働きとして起こっていることに過ぎないんです。
僕らが幻想を見ていると言われる所以は、
この思考の中で作られた世界を見ているからなんです。
この思考の世界の中にねー
苦の演出というものがあったりするんです。
思考の中の私というのは常に「より良く」ならなければならないという原理で動いたりしますからね。
それに沿わないという思考とぶつかったときに、苦が演出されるんです。
・全ては思い通りにはいかない
つまり思考は勝手により良くならなければならないという条件を突きつけ、
そしてその条件を受けて思い通りにならないという思いも作り上げるんですよね。
仏教の教えなんかで、一切皆苦(いっさいかいく)という言葉がありますが、
これは全ては思い通りにいかないという意味なんです。
そりゃそうですよね。
思考が勝手にイメージしたものがその通りになるわけがありませんし、
そもそも思考がイメージすることの中で一番優先されるのは、思い通りにいかないことなんですから。
そりゃー全ては思い通りにいかないっていうのもそりゃそうだ!って話なんですよ。
そう見えた。そう聞こえた。そう思った。
これって全部蛇足です。
その解釈の前に生の体験があるんです。
僕らは蛇足にこだわり過ぎるきらいがあって、そのせいで思い通りにならないという苦悩をしていたわけなんですねー。
ですが、
「思考の言いなりにならなくて良いんだ。」
「これって勝手に起こって勝手に収まるものなんだー。」
ってことを知ることで、とっても楽になるんですよねー。
元々が楽だったんです。
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