Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

内と外がひっくり返る

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

みなさんは子供の頃、電車の車窓から景色を見るのは好きでしたか?
僕はもれなく大好きでした。

子供って窓から景色を見るのが好きですよね〜。

でね。
子供の頃って、景色が動いているように感じませんでしたか?
「え?なんで景色が動いてるの??おもしろーい」
ってね。

そして、親から
「景色が動いているんじゃなくて、乗ってる電車がうごいているんだよー」
って教わるわけですね。

最初は、「でも景色動いてるじゃん!」って思うんですけど、
いつしか、動いているのは景色じゃなくて、自分なんだ。
って思うようになるんですよね〜。
すると見える景色は同じでも、ちょっとつまらなくなっちゃうんです。

でもねぇ。
これ、
やっぱり動いているのは景色なんですよね。

自分はどこにも行っていないんです。
常に自分は、大宇宙のど真ん中にいるんですよ。

これ、不思議でしょう?

何を馬鹿なことを!って思うかもしれません。

でもね。
動いているのが電車だ!っていう観念を聞く前は、
やっぱり自分は大宇宙のど真ん中にいるという正直な感覚を持っていたんですよね〜。

この感覚はあらゆる知識を身につけるに従って、どんどん失われていくんです。
そしていつしか、「自分」は「外」の世界に比べると、とても小さな砂粒のような存在で、
外には自分以外のものすごく広大な世界が広がっている。
という感覚にすり替わっていってしまうんです。

そして、あらゆる全てであった「自分」は、すごく小さな「自分」となってしまい、
なんとか大きな自分になろうとするんです。

 

外の脅威と小さい自分

そうやって作られた小さな自分は、外の脅威にさらされてしまいます。
そうすると、少しでもその脅威に立ち向かえる自分にならなきゃならないと感じますのでね。
自分をもっと強く、大きくしなきゃいけなくなるわけですが、その分、足りない自分という幻想も作ってしまうんです。

だからね。
どんどん、意識は外を向いてしまうんですが、
外に向けば向くほど、内側は無視されてしまうんですよね〜。

全ては内側にある

でもね。
意識を完全に内側に向けていくと、あらゆる外は全部この内側にあることに気づくんです。
アナタがみているAさんは、アナタの内側にあるAさんで、
アナタがみているあの山は、アナタの内側にある山なんです。

「え??なんで??」
って思うかもしれませんけどね。

一旦、理屈は置いておいてみてください。
理屈なんてものを参照しているのは、人間だけですからね。
その理屈のせいで、凝り固まった解釈がはびこってしまっているわけなんですが、
まずはその理屈を外してください。

そして、どんどん内側に意識を向けていくんです。

今までの経験や感覚、あらゆる理屈もまた、この内側にあることが見て取れると思います。

内と外がひっくり返る時

そして、理屈と一緒に、あらゆる記憶や知識も置いておいてみてください。
すると、まっさらな「なんにもなさ」が広がっていくんです。

この「なんにもなさ」はまさに無限です。
この無限の広大な宇宙の中に、今まであなたが脅威としていた「外側」がポツンと小さく頼りなくあることを発見できるかもしれません。

それは、まるで広大なキャンパスの上に描かれた、小さな点のようなものです。

この小さな点に、ものすごくフォーカスしまくって、その点の中に更に小さな「仮の私」をこしらえて、その点の中だけが全てだと錯覚していたんです。

小さいと思っていた内側は遥かに広大で、その中に小さな「外」がポツンと存在していたんです。

内と外がひっくり返るんです。外も内側の一部なんです。一部だけど分離は存在していないんですね〜。
そして、そこに安堵があるんです。この安堵は外からの脅威からの解放なんです。

 

takuteto.hatenablog.com