Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

これでも全ては許されているって言えるの??

はじめに

ほーい。
おはようございます。
タクさんです。

生きてりゃ、怖いこともありますし、怒ることもありますよね〜。

でね。
この怒りってやつは、だいたいその奥には恐怖っていうものがあるんですよね。
そして、この恐怖っていうのは、自分の生命が危機にさらされることに対する反応なんです。
この反応はいわゆる生存本能に由来する反応なんですねー。

生命への危機感こそが恐怖であり、この恐怖に対して起こる反応のひとつが怒りなんです。

ま、動物を見ててもわかりますが、ネコがシャーッ!って怒ってるときって怖がっているときなんですよね。

ちなみに、僕らは喜怒哀楽っていっていろんな反応があったりするわけですが、
恐怖につながった反応が一番優先されるんですよね。

ですので、生命の危機に関する怒りも他の反応よりも一番優先されるわけです。

 

これでも全ては許されているって言えるの?

でね。
全ては許されているんですよ〜。
ってな話をココでもよくしているわけなんですが、

この話をすると、とってもよく聞かれる質問があるんですよね。
それが、

「全ては許されているっておっしゃいますけどね〜!」
「戦争や殺人も許されるということなんですか〜!」

ってなニュアンスのやつです。

災害時には、

「この災害も許されているってことなんですか〜!」

てなこともよく聞かれます。
まあこれって、行き場のない恐怖や怒りをこちら向けられているだけとも言えるんですけどね。

正直な感想としては、
「んな怒りをこちらに向けられても・・・」って思ったりもするんですが、

これもまた、生命の危機に関する反応なんです。

「許されない!」という思いはルールに伴って出てきている

生命の危機に関する反応によって生じる
「許されない!」という思いは僕ら人間にとって一番優先される感情なので、
いわゆる絶対正義なんですよね。

ここで、うかうかと、「そうですよ〜許されてますよ〜」ってなことを聞いちゃうと、
そんな世迷い言は許せーん!ってなっちゃうんです。

でもね。
あらゆることに正解がないということ。
これが全てはすでに許されているということであり、

正解や間違いがあるのはすべて、何かしらのルール上の中だけでのことなんです。
なので、生命を守らなければならないという生存本能という働きの中では、
確かに正解と間違いがあるんです。
ですが、これもいわゆる反応の中にあるルールの一つなんですよね。

ただこのルールというのは、思考よりも奥にあるルールですので、
思考でなんとかしようとすることが出来ないルールなんです。

あらゆるルールのほとんどは、思考内で作られたルールなんですが、
思考以前の反応というものもあり、それらも一定のルールによって働いていたりするわけでして、
それでいて、あらゆるルールというものは、ただの現れであり、それでいて実体のない観念的なものなんです。

わからないままであってみる

ま、そんなわけでして、
戦争や殺人って許されるのか?
というと、
「そりゃー、許されないでしょう!だって平和が一番ですもんね!」
と当たり前のように答えるわけです。

なぜなら、その質問は、ある種のルールに則った質問であり、
そのルール上では、平和が一番というのがその答えだからなんです。

ただ、
このルールもまた、観念でしか無く、
平和が一番というのが、絶対的な正解なのか?
というと、やっぱり、正解というものも間違いというものも無いんですよね〜。

ただ、怒りや恐怖の真っ只中にいる場合は、このあたりのことを聞いても入ってこないので、
「平和が大事ではないのか〜!」
といったような解釈になっちゃったりするんですよね〜。

正解を求めようとして、このことを聞いちゃうとやっぱり混乱しちゃいますし、
また、
「正解も間違いもないというのが正解だ!」
といったような変な解釈が生まれたりもするので、
やはりここは、一旦落ち着いて、
落ち着いたなら、その時に試しに
「わからないままに在ってみる。」
というのをオススメします。

正解も間違いもない

するとまた、
「わからないままに在るのが正解なのか!!!」
みたいな思考が起こってくると思うんですけどね。

それもまた、風景として起こる思考のひとつであり、
また、その思考は私そのものである。
という思いも起こってくるわけなんですが、
それもまた、風景としてただ起こっている思考に過ぎないんですね〜。

ちょっとややこしいですね。
でも、ややこしいのは、分かれていないものを分離しようとすべきだ!
という衝動がややこしくしているだけで、
そこであえて、分離しようとせず、分けようとしないで在ってみる。
すなわち、分からんままで在ってみると、何もややこしくないことが知られるんです。

私が知るのではなく、な~んでもないものが、ただそのことを知っていたことを改めて思い出すんです。

力を抜いてただ在ってみるんです。

でね。
結論として何が言いたいのかといえば、

あなたはすでに許されているんだよ〜。

ということですね。

チャンチャン♪

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