はじめに
はいどうもー。
おはようございます。
タクさんです。
僕らに共通する願いってね。
やっぱり幸せになること〜!だと思うんですよ。
やっぱりみんな、幸せになりたいですもんね〜。
憲法にもちゃんと国民には幸福を追求する権利というものが与えられておりますからね。
この権利は人権の定義にもなるものです。
新しい人権が制定されるときには、ちゃんとこの幸福追求権が根拠になってなきゃならないんですねー。
ま、みんなが幸せを願うってことは、生きることは幸せを感じることである!ということでもあるんでしょうね。
ただねぇ。
ぼくらって、幸せを得ようとする際に、ついついその初手で間違っちゃうことがあるのかもしれないよ〜。
ということについて今日は書いてみたいと思います。
・幸せを得ようとすることで起こるボタンの掛け違い
幸せを得ようとする際の初手って何?
って話なんですがね。
これは読んで字のごとく、幸せになるぞ〜!って考えたときに最初にやろうとすることですね。
ココでついつい明後日の方向に向いてしまうということなんです。
みなさんは、幸せになるぞ〜!って思ったときにどうしますか?
自分にとっての幸せの条件ってなんだろう??
って考えたりするでしょうか?
そして、その条件を得るためにはどうしたら良いだろう?
って考えたりするかもしれませんね。
でもね。
幸せを条件にしてしまうことで、逆に不幸になったり不安になったりすることがあったりするんです。
・所有では幸せにはなれない
条件っていうのはね。
いわゆる所有の概念なんですよね。
ですが、残念なことに、何かを所有することでは幸せになれなかったりするんですよ。
実際のところ、
お金がほしい!
パートナーがほしい!
べっぴんさんになりたい!
地位がほしい!
ってなことを人は思っちゃったりしますし、それが叶えば幸せになれる!
って思ったりするもんなんですけどね〜。
でも、結局のところ、幸せを所有で満たそうとすること自体が不幸のタネになっちゃうんです。
・不幸と不足
そもそも不幸というのは、「足りない」という思いから来ております。
そして、「足りない」という思いは所有の概念によって生じているんです。
もし、僕らに所有という概念がなかったなら、「足りない」という思いも生じないはずですからね〜。
つまり、所有という概念は、幸せになるどころか不幸を生んでしまっているということなんです。
確かに、なにか足りないと思っていることを得た時に、僕らは幸福感を感じたりするんですが、これも単にその瞬間だけ「足りない」という思いが消えたからそう感じているだけだったりするんです。
その証拠に、少し時間が経ってくると、今度は得たものを失う不安に苛まれたりしますからね〜。
そして、そもそも所有というのは幻想ですから、
僕らは何かを取っておくことってできないんですよね。
つまり、所有の幻想を掴んでいる限り、取っておくことができないものを取っておこうとしちゃうので、どうしてもそこに不幸のタネが生じてしまうんです。
・至福のキーワード
僕らは何も取っておくことはできません。
その代わりに、変わり続ける今を常に目一杯味わうことができるんです。
美味しいものだってそうですよね。
それは味わうことに幸せがあるわけですもんね。
その味わいは取っておくことはできません。
一期一会なんです。
そんな一期一会の「今」を目一杯味わうこと。
ここに一切の不足はありません。
この「今を味わうこと」こそが至福のキーワードなんです。
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