Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

好きなことはあなたの「使命」である

はじめに

はーいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

みなさんは好きなことをやって生きてますか〜?

僕はと言いますとねぇ。
基本、好きなことしかやってないですね〜。

ま、もちろんのことながら、好きなことの中に面倒なことも山程あったりするんですけどね。
でも我慢して嫌なことをやるっていうのは、基本的にやって来てないですし出来そうもありませんね〜。

僕らってね。
そもそも、好きなことをして生きる価値が生まれつきあるんだと思うんですよ。

ま、価値と言っちゃうと語弊があるんですけどね。
そもそも価値なんてもの自体が実在しない観念ですからね。

でも、たまに自分は好きなことをする身分じゃないとか、そんな価値が自分にはない。
なんていう錯覚をしておられる方もいるので、あえて価値と書いちゃいましたが、
でもやっぱり、あなたは好きなことをして生きていいし、むしろそのために生きているといっても過言ではないんです。

というわけでね。
今日は「好きなことはあなたの使命である」ということについて書いてみたいと思います。

 

・好きなことって自分が決めたことじゃない

そもそもね。
好きなことって、あなた自身が決めたことじゃないんですよね。
これは与えられているものなんです。

例えば、
セロリ味のアイスクリームとイチゴ味のアイスクリームがあるとするじゃないですか。

僕は、イチゴ味のアイスのほうが好きなんですが、なぜそちらのほうが好きなのか?
ということは、自分では決めていないんですよ。
そもそも、何を美味しく感じるか?すら決めていません。

単にセロリ味よりはイチゴ味のほうが美味しいと感じるだけであって、
何を美味しいと感じることにしようか?なんて自分で決めたことなんて無いんです。

同様に、何を好きになるのか?っていうのは、生まれつきのものであって、自分で決めたものじゃないんです。
そうなるようにあらかじめ与えられたものなんです。

・「好き」はあなたの「使命」である

そして、ぼくらって、なんの制約や障害もなければ、普通は好きなことや好きな方を選びますよね。
わざわざ我慢してセロリ味のアイスクリームを選んだりはしませんもんね〜。

つまり好きなことって言うのは、そちらを選びなさいよってなっているとも言えるんじゃないかな〜って思うんです。

これってね。
言い換えると「使命」とも言えると思うんですよね。

つまり僕らは、好きなことをして生きることが使命であるということです。

・「使命」を覆い隠すもの

でも僕らって時に、あとから手に入れた観念によって、この好きを押し込めちゃったりするんですよね〜。

大人なんだからとか、
堅実に考えなきゃとか、
恥ずかしいとか、
我慢しなきゃいけない、とかとかね。

まるで、無理をしてセロリ味のアイスクリームを選び続けるようなことをやっちゃったりもするんです。

そうやって、いつしか好きだったことを忘れちゃったり、
不安を解消できるものが好きなものなんだ!といった錯覚をしちゃったりするんですよね。

不安を解消できるものっていうのは、
例えば、
お金が好きー!とか
ハイブランドのものが好きー!とか、
そんな感じのやつですね。

別にお金やハイブランドが好きなのは悪くないんですが、
それが、人から一目置かれたいという理由から来ていたり、
お金の不安を解消したいという理由から来ていたりするのであれば、
それは、好きというよりは、どこかで手に入れてしまった幻想の価値観によって生じる不安が元になっているものだったりする場合があるということです。

こればっかりは、自分に正直になって注意深く確かめてみなきゃわからないんですけどね〜。

・「使命」を探すためのリハビリ

僕らはいろんな「〜べき」に覆い尽くされてしまってます。
そういうことでも「好き」が覆い隠されてしまっていることもあるんです。

だから、「好きなこと」と聞いても、それで仕事になるのか?稼げるのか?
生活できるのか?
とあれこれ考えちゃったりするんですよね〜。

すぐに条件面に走っちゃうんです。

そんな場合はまずは、簡単な好きな色や好きな匂い、好きな小物あたりからリハビリを始めてみたら良いと思います。

そんな好きな小物を自分の周りに集めていって、あのテンションが上がる感じを味わうんです。

すると徐々に、あなたの「使命」も浮き彫りになってきてくれますよ〜♪

 

 

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