Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

全てに理由も意味もないなんて悲しすぎるっ!

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
タクさんです。

皆さんは何が好きで何が嫌いでしょうか??

好き嫌いって不思議ですよね〜。
だって、あんなに好きなのに自分で決めてないんですよね。
嫌いなものもしかりです。

何を好きになって何を嫌いになるかって、自分が介入する余地がないんです。
たまたま何かのきっかけで好きになったりするんですもんね〜。

ま、そもそも自分がなにかに介入しているものって無いんですよね。

チョコが好きなのに理由がないのと同様に、
僕らの人生すべてもまたそうなる理由って無いんです。

「人は何のために生まれ、何のために生きているのか?これは人類最大の謎である!」
なんて言われていたりしますが、そもそも理由がなかったんですね〜。

たしかに、運命とか宿命とか、そういうのがあったら面白いし、自分の使命なんてものがあったら面白そうなんですけどね。

運命というのもまた好き嫌いと同じで理由なくただ起こるだけであり、
誰かが関与しているわけでも無いんです。

僕らはいろんなことを選択して今があるように思ったりしますが、
選択すらしてないんです。

 

・原因も結果も無い

僕らは選択すらしていないし、全てに理由も意味もなく全自動で起こっているんです。
でも、こんなことを聞くと思考ちゃんはちょっと不安になったり残念な気分になったりするかも知れません。
思考ちゃんはあらゆることをストーリーとして捉えますからね〜。
ストーリーには、こういう事があって、それがこうなった。っていうね。
原因と結果によって作られますから、あらゆることを思考を通して見てしまうと全てのことに原因と結果があるように見えてしまうんです。

そして、原因と結果の間には、そうなる意味があって、なるべくならより良い意味を持ちたいもんですからね。

でもこれらはすべてストーリーなんです。

だから、理由も意味もなく全てはただ起こっているだけ。というメッセージは思考で捉えると歪んじゃうんです。
せっかくのストーリーが、意味のないものになってしまうってことですからね〜。
なので、このメッセージは思考で捉えるものじゃないんですよね。

・圧倒的なすべて

大自然や大宇宙を前にすると僕ら人間って全くの無力で何もできることがない!って思ったりするじゃないですか。
それほど、圧倒的ですよね。
太陽の周りを回る地球のスピードなんて、ピストルの球の88倍も早いんですよ!
でもそんな超スピードで動いていても太陽の周りを回るのに1年かかってるわけです。

ま、ちょっと話がそれちゃいましたが、それほどに圧倒的でそんな大自然や大宇宙の営みに僕らは関与なんて出来ません。

でもね。いわゆるコレはもっと圧倒的なんです。

そして、僕ら自身もこのコレそのものなんです。

あー、私ってば全てだったんだ〜!ってことなんですよね。
この視点から見ると、思考で捉えた世界なんて小さな点みたいなものです。
こちらに何の関与も出来ません。

「人は何のために生まれ、何のために生きているのか?」
という問いにしたって、そんな小さな点である思考の中の一部に過ぎないんです。

そもそも生きるのに意味を見出さなきゃならないなんてことすら無いんですよね。

・委ね

僕らはもうコレそのものであり全てです。
そして、全てである以上、何一つ欠けているものなんてありません。
見るもの、聞くこと、感じること。
すべてがそのまんま、ダイレクトにあるがままにあるんです。

意味を見出さなきゃいけないと感じるのは、思考が勝手になにかが足りないと思いこんでいるからなんです。

なにで、思考の中で答えを見出そうとするよりも、ただこの全てに委ねてみれば良いんです。
すると内側から勝手に何かしらが湧き上がって来ますのでね。
そこに委ねておまかせしていれば良いんです。

あれこれと考えることが、この内側からの湧き上がりを邪魔しているだけだったんですね〜。

ん?待てど暮らせど湧き上がってこないんだが、、、、。
って方もおられるかも知れませんけどね。
それならそれで、
「プッ!ウケる!何も湧き上がらない(笑)」
ってな感じで、それも委ねていれば良いんですよね〜。

 

 

 

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