Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

悟りや非二元は考え方でも定義でもない

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世界は鼻毛にあらず!

ふぁーい。
どうも、おっはようございやす。
タクさんです。

ま、いつも書いているのは、思考ちゃんの世界観からの目覚め!
みたいなね。
そんなテーマで書いているわけですが、

この目覚めっていうのは、なにかしら非二元の目覚めが起こるとか、
そういうことじゃ無いんですよね。

思考は別に僕らを縛っていません。
それは単なる働きだからです。

そもそも、僕らは思考に影響を受けていないんですが、
受けていると信じちゃっているので、この思い込みによって苦しんでいるわけです。
この苦しみを与えているエネルギーっていうのは自分自身のエネルギーだったりするんですよねー。

自分で自分にビンタをすれば、そりゃー痛いわけです。

「うそーん!自分でビンタしてるから痛かったんやん!」

ってね。
しごく当たり前のことが見抜かれることが、まあ、この話なんですが、
別に見抜くのは思考じゃ無いんですよ。

僕らは見ぬいたり気づいたりするのは思考の仕事だと思い込んじゃっているので、
どうしても、思考というまな板の上で、なんとか理解しようとしちゃうわけです。

そもそも、悟りとか非二元なんてものも、ありません。
あえて言えば、全てが二元なんてシステムでできておりませんから、
もうすでにすべてが二元ではない。つまり非二元だというわけではあるんですがね。
これは、世界は鼻毛ではない!鼻毛にあらず!非鼻毛!みたいなことと一緒でしてね。
そりゃー違いますがな。って話なんですよね。

つまり、非二元の考え方って、私がいないんでしょー?
といったことではないっていうことですね。

 

思考のシステム

見抜かれるとか、気づくということに主体者はおらんのですよね。
でも僕らの思考は主体者がいないことを理解できないようになっております。
なぜなら、思考というのは、ストーリーで構成されているからなんですね。

このストーリーというものが、思考のシステムなんです。

そして、ストーリーというものは常に展開されないと成り立ちません。

だから、常に燃料を投下し続けなきゃならないんですよねー。

ストーリーの骨子

悟りとか非二元もストーリーとして理解しようとしてしまうと、
常に燃料を投下し続けなきゃならなくなるので、
まったく別物になってしまうんです。

ストーリーというのは、主体と客体、原因と結果があって初めて成り立ちます。

なので、ストーリーは目の前のなんでも無いものに対して、主体と客体、原因と結果という演出を加えて成り立っているんですねー。

ストーリーをちゃんとストーリーとして扱うこと。
これこそがあるがままをあるがままにみるということでもあるんですね。

観念は世界を歪める

思考で何かを掴み取ろうとしてしまうと、思考上の観念によって、目の前の世界を歪めてしまうんです。
もうすでに、ここにある、まったき真実を、味付けしてストーリーに展開しているんですね。
あるがままの答えは常に目の前にあるんですが、ストーリーとして理解しようとしちゃうと、歪んでしまうというジレンマがあるわけです。

なんでもないものは、なんでもない以上でも以下でもありません。

そして、このなんでもなさを、それ以上にも、それ以下にもせずにいると、
もうここには足りないものなんて無いんです。

足るを知る

そもそも足りないという概念は、世界を思考によるストーリーで加工する際にどうしても発生してしまうものなんですね。
なぜなら、ストーリーは、主体と客体、原因と結果というように、なんでも無いものを分けないと始まらないからです。
単にストーリーとしてそれを観る分にはなんらこの分離は問題ないんですけどね。
ストーリーを真実だと錯覚することによって、自分には何かが足りないという錯覚が起こるわけです。
そして、この錯覚によって起こる緊張感が、僕らを苦しめちゃうわけなんですよね。
この緊張感にパワーを持たせているのもまた、自身のパワーそのものなわけです。

自身とは、全てであり、なんでもないものなんですが、思考の理解では分離された自分になっちゃうわけですね。
そして、分離された自分は、自分以外の何かという脅威にさらされちゃうというわけです。

この錯覚のカラクリが見抜かれる時、僕らは自分でわざわざ深刻さを演出する必要性から解放されていくというわけです。

見ぬこうとしたりわかろうとする誘惑に乗らずに、ただのほほんと在ってみること。
これが、カラクリが見抜かれるカギと言えるかもしれませんねー。

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