Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

思考が起こることは問題じゃないねんで!

はじめに

はーい。
どうもおはようございます。
新幹線では窓側の席がお気に入りなタクさんです。

みなさんご機嫌いかがでしょうか?

新幹線で長距離を移動していると、場所によって天気が全然違うことがあって面白いですよね。

あ!綺麗に晴れ渡ってる!と思えば、別の場所では雪が降っていたりしますからねー。

ですが、車窓の景色がどんな様子であれ、その景色はこちらには影響を与えません。
雨が降っていようが、濡れることはないんです。

こんなことを聞いても当たり前じゃん!って感じですよねー。

そして、この車窓の景色と頭の中に現れるイメージも同じなんです。
頭の中に現れるイメージとは思考のことなんですが、この思考は僕らに何ら影響を与えることはできないんですよね。

そんな思考が問題となってしまうのは、その思考をつかまえてしまうからなんです。

 

・つい捕まえちゃう思考のジャンル

とはいえね。
「え?思考を捕まえるったって、そんな覚えはないんですけど、、、」
って思ったりもするかもしれません。

僕らは知らないうちに思考を捕まえるクセが当たり前になってしまっていて、つかまえていることすら無意識になっちゃっているんです。

思考のストーリーにも、つい僕らが捕まえがちな思考とそうじゃないものがあったりします。
僕らが捕まえがちな思考は、思考のストーリーの中で「自分を損なうかもしれない!」というものなんです。

いわゆる危機感を感じさせるような思考のストーリーを僕らはついつい捕まえがちだったりするんです。

反面、どうでもいいと思っていることに関しては、別に掴み取ったとしてもすぐに手放せちゃうんです。

そして、危機感を感じた時にドキッとするじゃないですか。
身体の感覚としてね。
この感覚と思考のストーリーを同化しちゃう感じになるんですよねー。

これがストーリーを捕まえるきっかけになるんです。

・体感覚と思考

そして、ストーリーを捕まえると、
「何かしらの危機が起きている!だから何かしらの対策が必要だ!」
ってなるんですよねー。

こうなると放っておけなくなっちゃうんです。

普通の思考のストーリーは簡単にスルーできるけど、放っておけない!と感じる思考ストーリーはついつい捕まえちゃうんですよね。

そこで、僕らはこの思考をどう手放せばいいのか?
そもそもこのような思考が起こらないようにするにはどうしたらいいのか?
ってなったりするんです。

まーねー。
確かに放っておけないとなると、どうしたらいいのか?ってのが気になっちゃうもんなんですけどね。

そもそも僕らはできることしかできませんので、できることをやればいいってことなんですけど、ついつい思考を捕まえるほどに焦っちゃうんですよね。

ま、そんな時は焦りは禁物ということで、あまりこの体感覚と思考をごっちゃにしないほうがいいんです。

これをごっちゃにすると、思考のストーリーにリアル感を感じてしまうんです。

起こっているのは思考のストーリーではなく、単なる体感覚です。
もちろん、思考のイメージも出てきますけどね。
出てるだけならなんら問題はないんです。車窓の景色と同じようなことなんです。

それを捉えた時点で、問題にしちゃうって感じなんですよねー。

 

 

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