Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

私とあなたは別の世界観で生きているのに、個別は存在しないの??

はじめに

はーい。どおも!
おっはようございます。

ちっちゃい時は、「大きくなったら何になりたい?」と聞かれて、
「ウルトラマン!」と答えていたタクさんです。

これねぇ。
ウルトラマン!とか言うと、大人たちは「子供だねぇ・・・」
みたいな顔をしていたのをよく覚えているんですけどね。

実は子供らしさからウルトラマンって言ってたわけじゃないんですよ。

実際のところね。
子供時代の僕からすると、大きくなったらのことなんて興味がないわけです。
それよりもはやくブランコの風を感じたいしすべり台からすべり落ちたいんですよ。

でね。大きくなったらっていう言葉ね。あれもちゃんと大人になったらという意味だと理解した上で、大きいといえばウルトラマンだな!とちょっとボケたつもりで最初は言ったんですよね〜。
だって、そんな先のことどうでもいいですし。

すると何故か誰もツッコんでくれず、
「ああ、子供だねぇ・・・」という表情をするだけで終わったのでね。

ま、大人が子供らしさを感じてくれてるのならしばらくはこの答えで良いか。
ということで、しばらくはウルトラマンで通してたわけなんです。

というわけでしてね。
何が言いたいのか?と言いますと、小さな子どもたち全てが、大人になったらこうなりたい!
なんてことをちゃんと考えているわけじゃないよ!
ということです。
むしろ、大人の世界なんて別世界で自分が大人になることなんて想像もしてなかったりするんです。

ま、大人が思うほど子供は大人に興味があるとは言えないかもよ〜。
むしろ子供は子供の事情で動いているからね〜。
ってことですね。

 

・私とあなたは別の世界観で生きているのに、個別は存在しないの?

ま、大人と子供に限らず、思考というものは自己を中心とした世界観を構築しますのでね〜。
みんなそれぞれ、いろんな思考ストーリーをみているというわけです。

でね。
ここでよく聞かれることがあるんです。

「あの人はあの人の世界観で生きている。」
「私はあの人とは違う世界観で生きている。」

「ということは、やはり個々人は存在しているということじゃないの?」

という質問です。

確かに思考の解釈としてはものすごく筋が通っているように見えますもんね。
だから、そうじゃない。
つまり個別というものは存在しないというのであれば、
この筋が通った解釈以上に筋の通る解釈がほしいっ!って思いますもんね。

・解釈に価値の差はない

まあこれ、あくまで思考ちゃんから見れば筋が通っているように見えるだけって話でしてね。
なんていうか、解釈は解釈なんですよ。

思考ちゃんからすると、いろんな解釈の中でも、自身が納得できるものが上位の解釈であり、納得できない解釈はただの妄想なんですよね。

そして、この納得の材料でさえも色々とあるんです。

だから、地球は丸くない!という解釈がとても納得できる!という人もいれば、
「プッ!令和の時代に天動説とかwww」と失笑レベルの人もいたりするわけです。

ですが、どこまでいっても解釈は解釈に過ぎず、みんな同じ妄想なんですよね。
全ては解釈に基づいてうごいているわけではなく、単に好きな解釈を後付けしているだけなんです。

鬼ごっこの鬼が本物の鬼ではないのと同様に、あらゆる解釈は、真実や事実とは別物なんです。

思考は世界じゃないんです。
思考の世界もまた真実や事実とは別物なんです。

・境界は解釈に過ぎない。

思考の世界が一切なかったとしても、ちゃんと全ては機能しているんです。

思考の世界は完全に実体がなく存在していないんですよね〜。
このことを誰でもなく何でも無いものが発見するわけです。

発見というよりは再発見といったほうが良いかも知れませんね。
思考の世界にふける以前も、ちゃんと実相は存在していたわけですから。

ありとあらゆる境界が消えるんです。
これはあったものが消えるわけではありません。もともとなかったことを改めて知るだけの話なんです。

この境界というのもまた思考の中だけでイメージされた幻想なんです。

この境界のなさをあえて言葉で表現されたものが、
「個別は存在しない」という言葉なんです。

分かろうとするのは、この無い境界をイメージ内だけであえて作ろうとする試みです。
ですが、いくら作ってもそれは存在しないんです。
解釈は解釈なんですよね。

だから、個別は存在してませんし、外側と内側という境界も存在していないんです。

分けられていないものを分ける事はできませんのでね。
分かろうとすると混乱しちゃうんです。

 

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