Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自由意志ってあるの?それとも敷かれたレールなの?

はじめに

はーい。
中2の頃は、
「敷かれたレールにただ乗っかるなんてまっぴらだぜ!」
「オレは東京に出てバンドを組んでビッグになるっ!」
なんてのたまっていたタクさんです。

中学を出て東京に行くってことについては大人たちに猛反発されたんですが、
ある日図書館でパラパラと音楽雑誌を読んでいたところ、シンディローパーという歌手の方が「高校ぐらいは絶対に出ておいた方がいい」と言っていたので、中学を出てすぐに東京に行くのはやめて高校に進学しました。

いやー、危なかったー。シンディさん。バカな僕を止めてくれてありがとうっ!って感じです。

みなさんはどんな中2時代をおくられましたでしょうか?

さて、今日は自由意志というものをテーマに書いてみたいと思います。

 

自由意志はあるの?

いやー、実際よく聞かれるんですよね。
「自由意志はあるの?ないの?」
ってね。

そもそも、自由意志なるものというのは、思考上の観念にしかないものなんです。
だから、思考の上では絶対にあると思ってたりするんですが、
あくまで観念ですのでね。
観念とはかすみのようなものですので、あるように見えているだけ。
あるていにされているだけのものなんです。

でもね。
「自由意志がない!」
なんて聞くと、なんとも不自由な感じがするもんですよね。

「なんだよ!オレは敷かれたレールに乗っかるしかないのかよっ!」
ってねぇ。
中2の頃と同じようなセリフが出てきそうってなもんです。

でもね。
この不自由な感じもまたウソでしてね〜。
自由意志がない!という言葉を思考が解釈した上で出てくる不自由感でして、この不自由感もまた錯覚なんです。

僕らは元々完全に自由

元々僕らは完全に自由ですし、何者にも縛られていません。
レールや道なんてものがあるわけでもないし、運命も宿命もありません。
だから、やりたいことが浮かんできたなら、やればいいし、
やりたいけど、気が乗らないならやらなくてもいいし、
でも、やっちゃったならそれで良いんです。

これって「自由意志がない」ということとは矛盾しているように感じるかもしれませんね。

でもね。
そもそも「やりたいこと」。これ自体を自分で決めているわけでもなく、誰かが決めているわけでもないんです。

「やりたいこと」というモノが思考に浮かんだだけなんです。
そして、これまた思考が後付けで、
「ワシが決めた!」ってやってるだけなんですよねー。

だから別に
「敷かれたレールに乗っかってるだけ」
ということでもないんです。

思考ちゃんは、運命とか宿命とかレールとか道みたいな言葉にしちゃいがちなんですけど、これもまた思考ちゃんのイメージの中だけの解釈なんです。

誰も何も決めてない

ま、そう言われても思考ちゃんは絶対に納得してくれませんので、
どうにもしっくりこないって感じるかもしれませんけどね。

ちょっと思い出してみてほしいんですが、
みなさんもきっと恋愛はしたことがあると思います。特に中2の頃は恋愛まっしぐらだったかもしれませんね。

そんな恋愛ですが、誰かを好きになろう!って決めてから好きになったりしませんよね?

「よーし!来週の水曜日あたりからあの人のことを好きになろう!」
ってやってないんですよ。

恋に落ちる!
なんて言い回しがありますが、まさに意図せず落ちちゃうもんですからねー。

だから、誰かが決めたわけではありません。
好みのタイプだって自分で決めていません。勝手に自分のストライクゾーンなんてものが決められてしまうわけです。
そしてなぜか、どストライクの人とはうまくいかなかったりして悶えたりもするもんです。

もちろん、恋愛に限らず、
どんな食べ物が好きか?
どんな趣味に没頭するのか?
甘党になるのか?辛党になるのか?
酒が好きなのか?飲めないのか?

こんなのも誰も決めていないんです。

どんな思考が起こってくるのか?
どんな感情を感じるのか?と言ったことさえも、
誰も決めてません。

どんなことがやりたい事になるのかさえも決めてないんですよね。

このことを思考が解釈すると、
ブループリントと呼んだり、運命と呼んだり、宿命と呼んだりしているわけですが、どんな解釈も当てはめられないんです。

どんな解釈も当てはめられないから、完全な自由である。
ということでもあるんです♪

 

 

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