Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

真に受けるは、魔に受ける。

はじめに

はいどうもー!
おはようございます。
タクさんです。

魔という言葉があります。
おそらく仏教用語だとおもうんですけどね。

意味としては、人を惑わすもの、悟りの妨げ、煩悩。
といった意味なんだそうです。

煩悩というのはいわゆる「迷い」のことであり、苦悩のもとになるものです。

「え〜!こわーい!」
って感じたりしますね。そもそもこの「魔」という字面がちょっと怖いですもん。
鬼とか入ってるし。

この「魔」を遠ざけるにはどうしたら良いだろう?
お布施とかしたほうが良いのかなぁ?
魔除けの御札でも買えばいいの?
パワースポット巡りとか??

って思ったりするかも知れませんね。

ま、こうやって「どうしたら良いの〜!」ってなってる時点でもう迷ってるわけなので、
すでに魔が迫っているような気もしますが、今日はそんな「魔」はどうやって引き寄せられるのか?
はたまた、どうすれば魔を遠ざけることができるのか?
そもそも、魔とは何なんだ?

みたいなことをテーマに書いてみたいと思います。

 

魔はどこからやってくる?

さてさて、
魔はどうやって引き寄せられるのか?
って話なんですけどね。

キーワードは「不足感」です。

私には何かが足りない。
私はダメだ。
周りはもっとできているのに私だけが、、、。

といったような、不足感によって魔が引き寄せられるんですよね〜。

仕組みとしては、こういった足りないという考えによって危機感が演出されるわけです。
そしてこの演出された危機感を演出ではなく事実だと錯覚してしまうんですよね。

この勘違いによって、防衛反応が刺激されることで「魔」になるんです。

魔とは、幻想によって人を惑わし、迷わせることです。
このきっかけが、演出された危機感によって生じる錯覚であり、
その危機感を演出しているのが「不足感」から始まるいろんな考えなんです。

この不足感も錯覚なんですが、この錯覚によって生じる考えが魔を引き寄せるということなんです。

魔の正体とは?

では、この魔を遠ざけるにはどうしたら良いのか?って話なんですが、
それには、そもそもこの「魔」ってのは何なんだ?というね。
「魔」の正体を知らなければなりません。

この「魔」とは、もうお気づきの方もおられるかもしれませんが、
そう。
こいつの正体は「思考」です。

ただ、すべての思考が「魔」というわけじゃありません。

この「思考」を「真に受ける」ことによって、「魔」が生じるんです。

どういうことか?と言いますと、
「真に受ける」とは、
例えば、冗談を真に受けてしまった。なんて使われ方をしますが、
この意味とは、冗談を冗談とするのではなく、冗談を真実だと受け止めてしまった。
ということですよね。

同様に、
「思考」を「真実」としてしまうこと。

この事によって「魔」が生じるんです。

まさに、
「真に受けるとは、魔に受ける」なんです。

ですので、真に受けなければ、魔を引き寄せることは無いんです。

魔ちゃんと仲良く♪

さらに、「魔に受ける考え」というのは特徴があります。
その特徴が、「自分は足りない」という考えなんです。

「おい!お前は致命的に足りないぞ!このままでは大変なことになるぞ!」
って囁いてくるからこそ、
「マジか!どうしよう!」
って迷いに入るわけなんですね〜。

これがもし、
「おい!空が青いぞ!大変だぞ!」
って言われても、
「青でいいじゃん!キレイじゃん!」
ってなるので、迷いには入りませんもんね。

だから、不足感からくる考えが魔の元となるわけです。

ですので魔を遠ざけるにはこの不足からくる考えをどう扱うか?ってことになるわけです。

ですが、思考の一切を止めるなんて出来ないですよねぇ。
だって、勝手に起こってきますもんね。

でも別に思考を止める必要なんてないんです。
そもそも思考にはなんの強制力もありませんからね。

ですので、「足りないぞ!」という考えが起こったなら、その思いに対して、
「心配してくれてるんだね〜!ありがとね!君は優しいね〜!」
ってね。
愛でてあげれば良いんです。

だって、身を守ろうとしてくれてるんですもんね。可愛いじゃないですか。
だから可愛いね!と愛でてあげるんです。

そうやって、愛でてあげることで、魔を遠ざけることになるんです。

魔に成長する前に、愛でてあげることで魔にさせないってことですね。

こうやって魔を祓うことで、魔によって作られた幻想が消えていき、
そこに残るのがあるがままの地平線なんです。

 

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