Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

考え方に良いも悪いもなく、全て平等に勘違い

はじめに

はいどうもぉ〜♪
おはようございます。
タクさんです。

僕は昔、寝ていてふと目を覚ましたとき、窓際にゆらゆらと動く人影を見つけたんです。
明らかに部屋の中で動く人影が見えたので、もうドキドキしてきましてねぇ。

なんせ一人暮らしだから人影が部屋の中で黙ったゆらゆらしているわけがないんですよ。

「とうとう、ワシはみてしまった!」
と感じました。

そう。オバケです。

それまでは、オバケなんてないさ!オバケなんて嘘さ!
って思ってましたからねぇ。

そりゃービビりました。
心臓のバクバクをまさに感じつつ、恐る恐る部屋の明かりをつけてみたんです。

ま、明かりをつけたところ、何のことはない。
その人影は、窓際のカーテンレールに引っ掛けていた、
ハンガーに吊るされたワイシャツだったんですけどね。

まー、あのときはビックリしましたね〜♪

皆さんはオバケをみたりしますでしょうか?

 

怖さの元は思考ちゃんによる演出だった!

まあこれって、僕は吊るされたワイシャツにビビった!ということになるわけですが、
普通はワイシャツにはビビらないですよね。

では、本当のところは何にビビらされたのかといいますと、
「オバケだ!」という思考にビビらされたということになります。

いもしないオバケをイメージの中で作り上げて、
そこに恐怖を感じてビビっていた!
ということですもんね〜。

思考ちゃんが、ワイシャツをオバケと勘違いした。
だからビビった。

ってね。
一見良くあるただの勘違い。
って思っちゃいますけどね〜。

でも、思考というのは、たまに勘違いをするけど、
ちゃんと正解にたどり着くのか?というとそうでもなく、
実はずっと勘違いしてたりするんですよね。

ずっと勘違いしているのに、そこに気づけないのが、
思考ちゃんのちょっと困ったところでもあるわけです。

考え方に良いも悪いもなく、全て平等に勘違い

僕らは嫌な思考に対峙したときって、
大体は、この嫌な部分をなんとかしようと思うじゃないですか。

だって、嫌な部分をなんとかできたならもうこの嫌な思考は消えますもんね。
ですが、どうしようもないことも多々あります。

そんなときにどうするか?
ってことなんですけどね。

巷の本屋さんなんかで溢れているのは、
考え方を変えよう!ってやつですね。

まあね。
これでうまくいくことも良くありますのでね〜。
だからこそ、このやり方も流行っているわけですが、
これだと、うまくいかないときは、
「考え方を変えられない場合は何が悪いんだろう?」
ってなってしまったりするんですよね。

別に、考え方に良いも悪いもなく、全て平等に勘違いなんですけどね〜。

どうしても、正しい考え方というものがある!という幻想に巻き込まれちゃったりするわけです。

思考から自由になる呼び水

ですけどね〜。
どんな思考であってもイメージなので良いも悪いもないんですよね。
ですので、正しいも間違いもないんです。
ただし、ややこしいことに、
良いも悪いもない!と思考が納得することはできないんです。

だから、ここは諦めるしかないんですよね〜。
できれば思考で納得して楽になりたいものですけどね。
思考の全てが幻想である限り、また、事実を思考で掴み取ることは不可能である限り、これは無理なんです。

でも、思考に左右されなくてもいいんだ!ってことが気づかれてくると、
思考に苦しめられることはなくなっていくんです。

これは苦しい思考が起こらなくなるということではなく、いつも通り思考は起こりますが、
これは思考であると気づいているってことなんです。

言い換えると、思考を事実だと感じていたけど、思考は思考だった!と知るということなんです。

この気づきが思考から自由になる呼び水になってくれるんです。

ですのでね。
思考を思考と気づくというのは、思考から自由になる準備運動でもあるんです。

 

 

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