はじめに
数年前にバズったとある人気ユーチューバーのセリフでね。
「大好物は唐揚げ!醤油とマヨネーズをかけたらあれはもぅたまんねぇーよな!あれは人をどうにかさせるぜぃ!食えば食うほど腹が減るんだ。そして21年間食い続けたらこうなっちまった。なんかの呪いにかかったみたいだろ?」
ってのがあるんですけどね。
いやー、これなんですが、リスナーが「あなたの大好物は唐揚げでしょ?」って言われて瞬時にこのセリフで返してるんですよね。
マジ天才だろ!って感心していました。
まあ、僕も唐揚げの呪いにかかりそうになり中年太りまっしぐらなので、そろそろ自重したいと思います。
というわけで、どうもおはようございます。
唐揚げ大好きタクさんです。
皆さんの大好物はなんですか?
思考というおもちゃ
さて、僕が子供の時なんですけどね。
おそらく大多数の子供がそうだったように、「なぁぜ?なぁぜ?」マンだったんです。
つまり、何をみても、何を聞いても、
「それはなぜ?どうなってるの?これはどういうこと?」
ってなことを連発して親に聞いてたんですよね。
すると親も最初は快くおしえてくれるんですが、教えてくれたことに対しても「なぁぜ?なぁぜ?」を連発してかぶせるので、そのうち親も、
「そんなん知らんがな」
とさじを投げられる。
なんか、こんなことが多かったような気がします。
なぜ子供って、「なぁぜ?なぁぜ?」を連発するんでしょうね。
きっと、子供にとって「思考」というおもちゃがとても刺激的なおもちゃだからなんでしょうね。
僕らは「思考」というおもちゃを自我の芽生えとともに手に入れて来たわけですが、
この「思考」を手に入れた途端、あらゆる全てのものには答えがあるんだ!という面白さに熱中していたのかもしれません。
だから、ありとあらゆる答えを求めだすのかもしれませんね。
そして、知らないことを知るという喜びに熱中しだすんだと思います。
思考に夢中
そして、わかるということが成長だと思い込むわけです。
「え〜、そんな事も知らないの〜?」ってなことも子供はよく言ったりしますよね。
知ってるということは、自分が成長しているという優越感に浸れますもんね。
なんかクイズ番組が流行ってるのも、テレビの向こうでみんな必死になって答えを当て合う!なんてことが起こってるからなのかもしれません。
そうやって思考は「知識」を得るごとに、その思考が作る世界の彩りも鮮やかになっていくわけです。
でね。
そうやって「思考」のおもちゃに夢中になっていくうちに、
「全てに答えがある」という思考の幻想にどんどんハマっていき、
子供から一人前の大人になる頃には、すっかり思考の世界を事実であると錯覚していくわけです。
わからないが怖いくなるわけ
そんなこんなで、困ったことがあると、
「あれ?今までに手に入れてきた知識じゃ足りない何かがあるのかな?」
といったことを自然と考えますし、
わからないということに恐怖を覚えるようにもなっていくんですよね〜。
もう「わからない」は死活問題になってしまうんです。
子供の頃なら、わからないことは親や先生や大人たちに聞けばよかったわけですが、大人になるに連れて、教えてくれる人も少なくなってきますからね〜。
自分の知識でなんとかしなきゃならなくなると思い込んじゃうわけです。
そうなると、もう「わからない」は恐ろしいことになってしまうというわけです。
だから大人も躍起になって、答えを求める探求に入っていくんです。
なんせ死活問題ですからね。結構必死になっちゃう場合もあるんです。
思考ちゃんの飢餓状態には要注意
さて、そんなこんなで必死になってきますとねぇ。
思考は飢餓状態に入るんです。
この思考の飢餓状態に入ると、思考は次から次へと「不安な疑問」というものをぶつけてきます。
これがぶつけられるたびに、心はドキッとしますからねぇ。
なんとかかんとか、この不安な疑問をなんとかしようとしちゃうんです。
ですが、なんとかしようとすればするほど、思考の飢餓は深まっていくんです。
まるで食えば食うほど腹が減るという唐揚げのようになってしまうんですよ!
思考の飢餓に付き合えば付き合うほど、るつぼにはまり込んでいくんです。
ですのでね。
「あ!思考ちゃんってば、飢餓状態になってるな」
と感じたなら、
「わっかんな〜い♪」
って言ってあげたら良いんです。
ま、これだけだと、思考ちゃんはムキになるかもしれませんので、
ムキになっている場合は、
「思考ちゃん、頑張ってるね!ありがとね!」
とでも言ってあげればいいと思います。
ともかく、思考の飢餓になると乗っかってしまいがちになるんですけどね。
そういうときこそアホな子になりましょう!
それが、思考のるつぼにハマらないコツです。